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インタビュー

“開く”ことでパッケージがおもしろくなる

加藤芳夫氏

サントリービジネスエキスパート株式会社/デザイン部長

プロフィール◎かとうよしお
1953年生まれ、獅子座。
1979年愛知県立芸術大学卒業後、サントリー株式会社 デザイン室入社。2002年サントリー株式会社 デザイン部部長。2009年4月サントリーの組織改定により、現在サントリービジネスエキスパート株式会社 デザイン部長。社団法人日本パッケージデザイン協会副理事長。愛知県立芸術大学、東京芸術大学、多摩美術大学、各非常勤講師。

----- これまでの取材の中で実感することは、人口減少や少子高齢化など内需構造の変化やグローバリゼーションの進展など、かつてない国外の環境変化に対応しきれず、誰もが戸惑いや不安を感じています。リーマンショックによる世界同時の経済危機は「100年に1度」などと喧伝されていましたが、果たして現今のこうした環境変化を正確に掴んでいる人はいるでしょうか。素朴な疑問です。
 「対応しきれず」と言いましたが、その意味では「把握・認識できず」にいるのではないかと思います。もちろん本誌もしかりで結局、"歴史"とは100年ほど先から俯瞰しなければ何も見えてこないのかもしれません。ですが、何か大きな変革の只中に居ると感じている人は少なくないと思います。なかなか先の見えてこない、こうした変革の時代に必要なものとは一体何でしょうか。
 求めている答えは、加藤さんが絶えず心に引っ掛ってきた「掛け算とは何か」や「コンセプトとは何か」といった"禅問答"に近いものだと思いますが...。今日は加藤さんとの対話の中で、答えを探してみたいと思います。

加藤) それは、いつも余計な"まわり道"をしているということでしょうか(笑)。言葉で表現するのは非常に難しいですが、求める答えは「論理的に理解できる」といったものではなく、「肚に落ちる」ということだと思います。時間は掛かりますが、答えは自分の内に見つかるものだと思います。「急がば回れ」ということわざもありますが、こうした"まわり道"が大事なように思います。
 「悠々として急げ」との作家・開高健氏の言葉を思い出します。仮に「真理」というものがあるとしたら、それは相反するものが表裏を成しているのかもしれません。答えになっていませんね。私はもともと、パッケージのデザイン制作を希望していたのではなく、たまたま縁あってサントリーに入社し、パッケージのデザイン制作にたずさわるようになりました。
 当然ながら、はじめはパッケージへの興味など全くありませんでした。今から思えば逆に、それが良かったのかもしれません。これまで、「パッケージとは何か」「デザインとは何か」といった素朴な疑問を抱き続けているからです。いまだにその疑問は深まっていますが、不思議なことに、これまでの様々な経験や知識、思索などの点と点が1つまた1つと結び付き始めた感があります。
 それもパッケージにたずさわる以前のことや、まったくパッケージとは結び付きそうのないことなどについてもです。"経験"をベースにして起こる、こうした結び付きは、けっしてパッケージだからということではないかもしれません。ただ「疑問は深まっている」とは言いましたが、安易には定義したくないおもしろさを、パッケージに感じているからだと思います。

----- 昨年(2010年)、本誌が主催する女性の集い「Jsalon(ジェイサロン)」の第3回で講師を担当いただきましたが、その時、加藤さんはご自分の人生経験を振り返りながら「『-(マイナス)』が『+(プラス)』になる」と話されていました。先ほどの「『真理』は相反するものが表裏を成している」ということにも通じます。
 仏典の「煩悩(ぼんのう)の薪(まき)を焼いて菩提(ぼだい)の慧火(けいか)現前する」との言葉をかつて聞いたことがあります。「菩提」とは悟りのことですが、まさしく悟りの知恵の発源は「煩悩」ということでしょう。非常に興味深い「真理」ではないでしょうか。本誌のまわりには漢詩・漢文に親しんでいる人がおり、時折に漢詩と自作の訳文を送っていただきます。
 そのゆえか、漢詩・漢文にもだいぶ興味を持つようになりました。孔子の「論語」の一節に「君子は本を務む。本立ちて道生ず(君子たるものは、根本を大切にします。根本が立てば、自然に道が拓けてくるものです)」(学而第一)とあります。今では「君子」といった言葉はなじみにくいかもしれませんが、「パッケージとは何か」といった素朴な疑問は「根本が立てば」ということではないでしょうか。

加藤) そうかもしれません。パッケージのご縁で、私は多摩美術大学で非常勤講師をしています。常に心に思うことは、パッケージやデザインについて何か教えるというよりも、それらについて「生徒と一緒に考えていきたい」ということです。次年度(2011年)の新しいカリキュラムで、デザイナー仲間の後輩が講師を担当することなり、「パッケージとは何かを考えてほしい」との言葉を贈りました。
 答えは必ず生徒自身が持っており、そこから出てくる作品やアイデアにはいつも驚かされます。特にパッケージデザインに限っては、「○○でなければならない」ということはけっしてありません。むしろ、こちらの想像を超えた発想との出会いの媒体となるのがパッケージのおもしろさであると思います。
 抽象的な表現とはなりますが、パッケージングとは「包む」という行為であることから、 どちらかといえば"閉じる"ことに目が向きがちですが、私は"開く"ために"閉じる"のであって、パッケージ本来の機能は"開く"ことにあると思っています。単にイージーオープンといった機能を言っているのではなく、「どのように開くか」「開くことでどうなるのか」など色々な発想が広がりませんか。

----- 確かに、"閉じる"ことでは何の発展性もおもしろみもありませんが、"開く"ことには無限の可能性といったものを感じます。

加藤) 実は、若い頃に実家の宗教・仏教などに関心を持ち、少し経典などを読みかじったことがあります。その中に「色即是空(しきそくぜくう)」という言葉が出てきますが、特に「空」という概念がパッケージに通じていると思うようになりました。最近、なぜか「老荘思想」に関心が寄せられています。
 「老子」(11章「有の以って利を為すは、無の以って用を為せばな」)を訳した、詩人である加島祥造氏の「タオ 老子」(筑摩書房)の中に、「器は、かならず 中がくられて空(うつろ)になっている。この部分があってはじめて器は役に立つ」「私たちは物が役立つと思うけれどじつは物の内側の、何もない虚のスペースこそ、本当に役に立っているのだ」とあります。この言葉が、「パッケージとは何か」ということを考え続けてきた私の肚に"すとん"と落ちました。