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インタビュー

パッケージの生命はどこにあるのか?

今月はインタビューをお休みし、特別編として「WORLD VIEW」を掲載いたします。

 サーフィン好きの友から、YouTube上のジェリー・ロペスさん(「サーフィンの神様」と称されているらしい)のインタビューを紹介された。「3・11」以降の日本人に対するメッセージとの表題だったが、ロペスさんの言葉にはそんな気負いは全くなく、自然であった。
 自然と向き合って生きてきたゆえであろう。その中で、「人生は何が起こるかわからない。それは避けがたいもので、それでも人生は続いていく。いつでも新たな『始り』なのさ。今からでもポジティブに動き始めることはできる。僕たちは、サーフィンから学んだ事とともに人生を歩むだけさ」と、ロペスさんは語る。
 最後に、たぶんインタビュアーは「サーフィンから学んだ事とは何ですか?」と聞いたのだろう。向きなおって、「Keep Paddling!(キープ パドリング)」と答えたロペスさんの笑顔は非常に印象的であった。サーファーにあえて説明するのは野暮だが、あえていえば「ポジティブに動き始めよ!」と言うことだろう。
 今号では、同じく自然と向き合って生きる染色作家の志村ふくみさんの著書「一色一生」(求龍堂)から紹介したい。志村さんが初めて「藍建て」に挑まれた時の話で、師として選ばれた片野元彦さんがはじめて仕事場に来られた時、言下に厳しくも温かく根本的な心構えを教えられたそうである。
 「あなたは藍がこんな綺麗ごとで出来ると思っているのですか。藍を建てることは子どもを一人持ったと思わなければならない。藍はその人の人格そのものである。藍の生命は涼しさにある」と。パッケージ制作とは異なる厳しさもあるが、本誌の周りには、自身の生み出したパッケージをわが子のように語る人はけっして少なくない。
 
 * * *

 本当のものは、みるものの奥にあって、物や形にとどめておくことの出来ない領域のもの、海や空の青さもまたそういう聖域のものなのでしょう。この地球上に最も広大な領域を占める青と緑を直接に染め出すことができないとしたら、自然はどこに、その色を染め出すことの出来るものがひそんでいるのでしょう。
 人間はいち早く、藍という植物の中からそれを見出し、何千年守り育ててきました。藍こそ植物染料の中で最も複雑微妙な、神秘の世界といってもいいと思います。この染料は他の植物染料と根本的に違います。藍以外の植物は、炊き出した液で染めるのが殆んどですが、藍は藍師が蒅(すくも)という状態にしたものをわれわれが求めて、醗酵建という古来の方法で建てるのです。
 この藍の色には深い精神性がたたえられ、歴史や風俗に浸透した色として風格を備えています。インド、中国、アフリカ、日本と、全世界で藍ほど人間と深いかかわりをもち、愛された色はないと思います。ことに日本人の顔立、心情に藍ほどふさわしいものはなく、藍染は一時期驚くほどの発展を遂げ、深い内面性のある色にまで及びました。
 四季折々に移り変わるこの国の自然はあの日本海の深い藍を産み、透明にひかる秋の空を産んだように、日本の藍ほど内面的な寂しさと、輝くような紺瑠璃の美しさを湛えた藍は世界のどこにもないと思う。その純度の高い藍色は古来よりの法則を守って建てなくてはならない。すなわち木灰汁(あく)による麩(ふすま)建ての方法である。
 化学染料と薬品は従来の方法からみれば百年を一歩にかえてしまう簡便さを持っているが、生命ある色を染めることは不可能であり、生命ある色は生命あるものから生まれて来るものである。
 というのが、片野さんの信念である。愛染明王に合掌してはじまる片野さんの一日は藍に明け、藍に暮れる敬虔なもので、私はその神聖な仕事場に導かれた時、自分の仕事の根底から揺り動かされる思いがした。
 前にも述べたように藍は生きている。その活力は日々刻々に変化し、昔から神秘な伝承があって、たとえば5年、10年と年季を入れても、カンの鋭さがなくては生涯自分で藍建ては出来ないといわれている。つねに人肌で生き続け、それより上がれば腐敗し、下がれば醗酵することはないのであるから、昼夜温度に気を配らなくてはならない。
 11月から翌5月頃まで大鋸屑(おがくず)や籾殻(もみがら)を燻べて甕を保温する。毎朝夕かならず静かに撹拌し、健康状態をみるのである。藍の機嫌の良し悪しを藍の顔をみるといい、艶々した紫紺色(しこんいろ)の気泡が表面に盛り上がってくると藍の花が咲いたという。
 この方法を昔から「地獄出し」、あるいは「鉄砲出し」といい、万に一つの成功しか希めぬことから、全国の紺屋(こうや)が人造藍の混入した甕(かめ)に変っていったのも当然の成り行きで、その純粋性を保つことがいかに困難かは、年を追う毎に深刻になっていった。ついに醗酵することなく死んでゆく甕の傍にうずくまり、立ち上がる気力も失ったことも幾度かあった。
 昔から極端に穢れを嫌う藍は女を不浄として、小舎に近づいてもいけないといわれていた位であるから、女の身で大それた願をおこしたのではあるまいかとある年、片野さんに断念するほかないと申し出たところ、「私はいつ死んでもいいように娘には伝えてある。ただ繰り返し繰り返しやる以外はない。自分も一夜にして腐敗した甕の側で涙を流し、こずみ込むあわれな日もあった。この藍建ての秘儀は教えておぼえるものではなく、藍と自分とが一体になる時点を掴むまで繰り返す以外はないのだ」と諭された。
 健康な体質の藍をもう一度建て直そう、その時を契機にして、何かはっきりと手ごたえを持つようになった。甘い物(麩、酒、水飴等)、辛い物(石灰)を欲しがっている時が、藍の顔をみていると自然にわかるようになった。朝夕静かに櫂を入れて撹拌すると、藍は心地よげに身をゆだね、思いがけぬ静穏がひととき訪れる。
 薪や炭を使わなくなった今日、良質の木灰を集めることはむつかしい。私と思いを共にする若い人々は、風呂屋、料理屋、植木屋とリヤカーをひっぱって灰集めにでかける。暮れの中に集められた木灰が大甕に一杯貯まったこの正月、私達は慎重に作業を積みかさねた。
 程よく温められた甕は、力のある艶々した藍が健やかな香りを放ち、やがて1週間目位からぽつぽつと気泡が立ち醗酵がはじまる、時をみて、とろ火で煮込んだ麩を甕のふちから静かに流し込む、この時機を逸したら発色は希めない。中1日おいて、そっと甕の蓋をあけると、全面に紫紺色の気泡が漲り、櫂を入れると、勢のある藍分がぐんぐん湧き上がってくる。
 朝日をうけて光る紫の泡は満開の花のようである。翌々日、糸染の日である。純白の絹糸を静かに甕に入れる。紺屋の白袴というが、白袴を汚さぬよう、それほど慎重に染めたということであるが、空気は入れてはならない。糸は藍の中にひそみ、盛んな色素と香気を吸収して静かに引き上げられる。
 竹竿に一気に絞り上げられた糸は、空気に触れた瞬間、目をみはるような鮮烈な緑、陽をうけて輝く南のあのエメラルドグリーンにたとえられようか、しかしその色も瞬時も保つことはない。勢よく糸さばきをするうちに、すばやく酸化するのである。
 やがて水中で洗われ再び空気にふれたとき、まぎれもなく、涼しく深い藍色が誕生する。ここ五年間念じつづけてきた日本の藍の色が今はじめて、健やかな子供たちの笑顔となって私にほほえんでくれた。藍を建てること、染めること、守ること、この三つが出来てはじめて芸といえるという。
 やっと建てられた段階である。ほんの序の口である。無事藍を建てるまでに歩んだ歳月がこれからの仕事を支えていく。かつて一色に十年と思っていたが、この頃は一色一生と思っている。