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インタビュー

モノづくりの核には“理想に燃る社会的精神”

今月はインタビューをお休みし、特別編として「WORLD VIEW」を掲載いたします。

 「天災は忘れたころにやって来る」とは、あの物理学者であり、随筆家でもあった寺田寅彦氏が残した言葉であるようだ。つい山口と島根を襲った集中豪雨では、気象庁より「これまでに経験したことのないような大雨」との警戒警報が発せられた。「忘れたこと」は経験ないのと同じことで、頻繁に続けば「健忘症か?」が疑われる。
 とはいえ、頻発する天災の被害にあわれた方々には、心よりお見舞いを申し上げたい。だが「経験ない」や「想定外」といった言葉は、意識の内でけして常用化させてはならない。その意味では、あらためて自然と向き合い、自らの心と態度といったことを見つめ直すよい機会なのかもしれない。
 ここに、真摯に自然と向き合って生きる人の言葉がある。それは植物染織にかかわり、「三種類ほどの植物をかけ合せたが、自分の思う色にはならなかった」と訪ねて来た、ある女性に対して贈られた思いの断片である。
そこには、「色は植物からいただくのです。さぐってさぐって、植物から教えてもらうのです。自分で色を出そうと思わずに、あなたのまわりの植物から色をもらって下さい。そうすればその色が大事になりますよ。その色に何かもう一色かけて殺してしまうようなことは決してできないでしょう」とある。
 これは身につまされる言葉である。ついつい誰の心にも宿しがちな小さなエゴで、気づかぬうちに段々と大きくなっていくものである。さて、今号では災害から自然と向き合い復興を遂げた町の実話に基づく、山本有三氏の著作「リンゴのなみ木」(「心に太陽を持て」ポプラ社)の一部を紹介したい。最後に、「全員一致のこんな決議をしてみたい」と誰もが思うだろう。
                    *
 飯田市は、山間の都市という地形の関係から、冬と春には、きまって強風がふきすさぶので、しばしば大火におそわれることがあります。大正の末の大火事、昭和21年の火事、それから、その翌年には、町の80パーセントを焼きはらった大火がありました。
 22年の大火のあとでは、たびかさなる災害にこりて、今度こそ、防火都市を築きあげようと、市の有力者は決定しました。そして、新しい町は、延焼を防止できる、幅の広い道路を中心として計画されました。それから数か年、市民のたゆまぬ努力によって、町はおいおいに復興して行きました。
 しかし、道路が広げられたために、町はなんとなく殺風景になったので、広い防火道路のまん中に、なにか適当な街路樹を植えようという話が、起っていました。ちょうど、そのころ、市立、東中学校の生徒が数人、校長先生といっしょに、市役所へたずねてきました。そして、「わたしたちの手で、防火道路に、リンゴの木を植えさせてもらえないでしょうか。全校生徒1500人が総がかりで、赤い実のなる街路樹を育てたいと思うのです」という申し入れをしました。
 生徒たちがこうした計画を建てたのには、一つのきっかけがありました。それは、公用で北海道に行ってこられた松島校長が、帰校後、朝礼の檀上で話されたみやげ話が、強く生徒たちの心を打ったからです。校長は、町つくり最中の飯田市にちなんで、明治維新のあとで開拓された新天地、北海道の都市のことについて話されました。
 なかでも、サッポロ市の町わりが整然としており、しかも、その道路に植えてあるニレやアカシアの街路樹が、町を愛する市民の協力によって、立派に守り育てられている点を賞賛されました。そして、道路や建物の人工美の中に、自然美を調和させることが、都市を美化する上に、いかに大切であるかを力説され、ヨーロッパの都市では、街路にブドウだなを作ったり、果樹を植えたりしていることなども、話してくださいました。
 「そうだ、ぼくらの手で、この町に、土地の特産物であるリンゴの木を植えたらどうだろう。今、市役所では、防火道路に何か街路樹を植える計画があるということだから」
 だれ言うとなく起こった、これら少年たちの声は、次第に学校中にひろまり、続々と賛成者があらわれて、やがて、それは、学友会の議場で、正式に決議されるまでになりました。
 先生の意見を求めると、先生がたも、全員賛成してくださったので、生徒代表は、校長先生に同行していただいて、市役所をおとずれたのでした。その時、応接に出てきた市の助役は、生徒の話を聞き終わると、考え込んだ顔をしながら、ポツリポツリと口を開きました。
 「しかし、どうですかな。リンゴは栽培のむずかしい木です。それが、はたして皆さんの手でできるかどうか。費用にしても、ほかの街路樹よりはずっとかかりますし、それに、たとい、皆さんの丹精によって、実際にリンゴの実がなったとしても、町なかのことですから、それはすぐに人に盗まれるにきまっています。そうなると、この町に犯罪者を出すようなことが起らないとも限りません」
 助役から、このように説き聞かされると、生徒たちは、返すことばがありません。つい先ほどまで、胸に大きく描いていた夢は、たちまち、しぼんでしまいました。みんなは、すごすごと、市役所を引きあげるよりほかありませんでした。
 しかし、そのことを生徒代表が学友会に報告したところ、意外にも、多くの生徒が、これに不満をとなえて、議場はわきたちました。「リンゴが栽培のむずかしい木だということぐらいは、自分たちだって知っている。しかし、むずかしい、むずかしいと言っていたら、どんなことだって、みんな、むずかしい」
 そう言った生徒のあとに続いて、かわるがわる、活発な意見が述べられました。予算の関係があると言うなら、何かアルバイトして、お金をかせいででも、自分たちの手でやっていこう。盗まれると言うなら、盗まれないように、丈夫なサクを作ればいい。
 いや盗まれたら、盗まれたってかまわない。たべたい人にはたべさせたら、いいじゃないか。「その意見には反対だ」そう言って、立ち上がった生徒がありました。
 「ぼくは、こう思う。今度の植樹の計画のうちで、大事なことの一つは、共同の精神だと思う。ぼくら1500人が、共同して植樹をする。それもたしかに共同の精神だけれど、さらに、それがおしすすめられて、リンゴの実を盗むような人が、この町には、ひとりもいないようにする。そういう理想をもって、この仕事にあたるべきではないだろうか。ぼくらは、赤い美しい実をみのらせることによって、町を美しくするばかりでなく、町の人々の心をも美しくしてゆきたいのだ。そうした社会的精神が、町じゅうに行きわたる時、はじめて、この飯田市の復興も達成されるのだと思う」
 「そうだ、ぼくらの植樹は、ただ木を植えるだけの仕事ではない。町の美化と、共同の精神の実現にあるのだ」「賛成。みんな、その方針で進もうじゃないか」われるような拍手が場内に鳴りひびき、全員一致で、リンゴ植樹の計画が、あらためて決議されました。そして、その決議は、ふたたび校長のもとに、上申されました。
植樹に対する生徒たちの変わらない熱意を聞いて、校長は、強く胸を打たれました。しかも、今度の決議は、前のような単純なものでなく、そのなかには、理想に燃えた社会的精神がかがやいています。校長も、あの時、市の予算のとぼしいことを聞かされて、引きさがったものの、それを心のこりに思っていた点では、生徒たちと全く同じでした。
 生徒たちが、こんなにも意気ごんでいるからには、なんとかして、これを実行に移してやりたいと思いました。教育というものは、教え子の持っているよい芽を育てることだ。そうすれば、今ここに芽ばえつつある芽を育てあげることこそ、教育者の務めだと思う。
 教室の学習が大事なことは言うまでもないが、こういう事をとりあげることも、また、生きた教育の一つだ。校長はそう考えました。それは、校長ひとりのみならず、教頭をはじめとして、すべての教員にも共通するところのものでした。こうして、生徒の決議は学校でも強く支持することになったのです。

山本有三(やまもと ゆうぞう)…1887年(明治20年)7月栃木市生まれ。一高から東京帝国大学独文学科に入る。在学中から「新思潮」創刊に参加し、1920年には戯曲「生命の冠」で文壇デビュー。菊池寛や芥川龍之介らと文芸家協会を結成し、内務省の検閲を批判する一方、著作権の確立に尽力。著書には「路傍の石」「米百俵」「真実一路」などがある。小説家、劇作家、政治家、日本芸術院会員、文化勲章受章者。1974年1月に死去。