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インタビュー

パッケージにも通ず、追体験の学びの道

今月はインタビューをお休みし、特別編として「WORLD VIEW」を掲載いたします。

 新春をフランスのパリで過ごす知友から新年の挨拶をいただいたのだが、それは「争いのない受け身の体制で、です」との不可解な一言で締めくくられていた。すんなりとは理解できない。人柄をよく知る人には"いかにも~らしい"と思われる言葉である。
 浅慮ながら、本誌なりの解釈を加えてみると「変化を柔軟に受け入れる態勢」となろうか。所謂「方円の器に従う」という"水"のような態勢であろう。そうこう考えていると、もう一人の知友からいただいた年賀状には「水分子ゆらぎが生命活力の源泉。循環と代謝が細胞の健康リズムを奏でる」とあった。
 これをシンクロと言わずして何といおうか。さらにつづく「日本は自然やものと共感して恵みを育み生かす調和感性。米国は自然と対峙し開拓する対外保安と戦略のゲーム感性。欧州は民族闘争経験から共存社会システム作りのルール感性。3者を生かす調和の国際化を!」との一文に目を止めれば、「体制」との表現も示唆的な感もある。
 そういった意味で今回、紹介したいのは国文学者の橋本武氏の著書「100歳からの幸福論 ----伝説の灘校教師が語る奇跡の人生哲学」(牧野出版)である。まさしくタイトル通り100歳の人生の節目に書かれたもので、これまでの来し方を振り返られている。
 そこに貫かれた来し方のコツは、「それもこれもやはり、いわれるがままに引き受けただけ。そういった意味でいえば、私の(第2の)人生が充実したのは"成りゆきまかせ"のたまものだったといえるわけです」(「 」内の( )は本誌が付したもの)と言葉に表われているように思えてならない。
 
 * * *
 
 私は明治45年、西暦でいうと1912年の7月11日生まれですから、この本が出るとき、ちょうど100歳になります。その人生の半分にあたる50年間、兵庫県にある私立灘中学・高等学校に国語教師として勤務し、思うがまま、さまざまなことにチャレンジしてきました。最たる例が、わずか200ページほどの小説「銀の匙」を、中学の3年間をかけて読み解くという"銀の匙授業"となるでしょう。
 この"銀の匙授業"について今一度、軽く紹介しましょう。小説「銀の匙」とは、作家・中勘助(なかかんすけ)による自伝的小説で、明治の終わりから大正の初めにかけて「朝日新聞」に連載されました。文体が美しく、かつ子どもの世界の描写が素晴らしいことは、あの文豪・夏目漱石も賞賛しています。
 私が、教科書ではなく、この小説だけを教材にした理由は、おおよそ次のようになるでしょう。
 
1)まず何より、私が心底、この小説を気に入っていること。
2)主人公がちょうど灘校に入ったばかりの中学生とほぼ同年代のため、学生たちが、主人公の成長に自分の気持ちを投影しやすいこと。
3)新聞連載小説であるため、章の長さが授業の時間にちょうどよく合うこと。
4)そして、ひとつの物事からさまざまな考えを引き出せる、「横道にそれる」ポイントが数多くあること。
 
 重要なのは、この"横道"です。たとえば、「コロリ」という言葉が出てきたら、「病気のコレラのこと」という説明だけでは終わりません。「なぜコロリと呼ばれたのか(=コレラにかかった人がコロコロ亡くなるから)」「コレラは漢字で『虎列刺』と書くが、外国語の漢字表記にはほかにどのようなものがあるか(麻刺利亜→マラリア、埃及→エジプト、剣橋→ケンブリッジなど)」といったように、意味を突き詰めて調べ、さらに、そこから広がる知識についても学べば、子どもたちの"学び"に対する興味も、自然と増していくはずです。
 また、駄菓子を食べるエピソードがあったら、実際に駄菓子を食べてみる。あるいは凧揚げのシーンが出てきたら、凧づくりから始めて校庭で凧揚げをするというように、小説の中身を追体験させることにより、本当の国語力、本物の学ぶ力もつくだろうという狙いもありました。
 こうした、横道にそれる読み方は、後になって「スローリーディング」と呼ばれるようになりましたが、私は授業をするにあたり、もちろんその言葉は意識していません。ただ、勉強、国語が好きになってほしいという思いで、「銀の匙授業」を行ったにすぎないのです。
 この授業の成果のためだけではないことは、いうまでもありませんが、「銀の匙授業」を経験した卒業生、いわば"銀の匙の子どもたち"が、昭和43年、私立校として初めて東大合格者数日本一になりました。いい悪いは抜きにして、これは灘校にとっても、ひとつの転換点となったわけです。
 そうした好きなことを、好きなように好きなだけやらせてもらった灘校を71歳で退職してから、早30年という月日がたとうとしています。
 私自身、まさかここまで長生きするとは思いもよりませんでした。100歳といえば年寄りも年寄り。しかも、90歳の時に妻を亡くしていますから、この10年ほど、ずっとひとり暮らしです。
 ただ単に、その事実だけを並べると、「かわいそう」「寂しい」というように見られるかもしれません。あるいは、世の中には「長生きしても、いいことなんてひとつもない」などと考えている人もいるでしょう。しかし、私に限っていえば、そのいずれとも違います。
 「長生きは楽しくて仕方ありません」。これが、100歳を迎えた私の偽らざる実感なのです。たとえば、先ほど取り上げた"銀の匙授業"。このおよそ型破りな授業が評価されるようになったのは、たかだか2、3年前、私が90も半ばを過ぎたころのことです。
 教え子のひとりで、現在の神奈川県知事である黒岩祐治君が、"銀の匙授業"について書き記した「恩師の条件」(リヨン社、後に中央公論新社より『灘中奇跡の国語教室』として復刊)の刊行をきっかけに、その後、NHKのテレビ番組や新聞・雑誌、書籍で、次々と紹介されるようになりました。
 そもそも、私は教え子のために最高の授業を、と思って"銀の匙授業"を始めたにすぎません。しかし、こうして一所懸命に行ったことが、新たな角度から評価され、また、それを契機に、今まで結んできた"縁"は一層強固になり、さらに新たな出会いが生まれる...。
こうした予期せぬ"果実"は、長生きしたからこそ手に入れることができたわけです。"老い"は、生きている限り、誰の身にも平等に訪れます。私も確かに耳は遠くなりましたし、小さい字はルーペを使っても、よくは見えないといったように、体は若いころの調子とは比べるべくもありません。
 ですが、これは当たり前のこと。それを悩んだり悔んだりしても、どうしようもありません。当たり前のことを、当たり前のこととして受け入れる。そのうえで、あるときは"成りゆき任せ"で生きていく。またあるときは、自分の心と頭に従い、好きなことを好きなだけ好きなように楽しむ。
 私は、灘校時代以来ずっとそうしてきて、そして今も、それを続けているだけなのです。当然のことながら、たとえ100歳になっても"正しい生き方"などわかりません。わかりませんが、成り行きに任せるがまま、いろいろな人に助けられながら、好きなことを好きなように好きなだけやり、しかも、まだまだこの世とサヨナラするには、やりたいことがあまりに多すぎる...。
 こんなふうに考える100歳がいる、このような人生があるということを伝えることにより、誰かひとりでも生きるヒントが得られるならば、これもまたひとつの「長生きの喜び」となりますし、そうしてまた、長生きが生み出した"縁"となることも、間違いありません。

橋本武:1912年7月京都府宮津市で生まれ。国語教師として灘校(灘中学校・高等学校)で50年にわたり教鞭を執り、教頭まで務めた。3年間をかけて「銀の匙」(中勘助著)を1冊読み上げる国語授業「『銀の匙』授業」は有名。「100歳からの幸福論」発刊から約1年後の2013年9月に逝去。享年102歳。