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インタビュー

夢を育てる余裕(寛容)と弾力(忍耐)

今月はインタビューをお休みし、特別編として「WORLD VIEW」を掲載いたします。

 本屋大賞(2012年)をとった「舟を編む」(三浦しをん著、光文社)といった小説が映画化され、辞書の編纂といったことに関心が寄せられることにもときの不思議を感じている。「晴耕雨読」との熟語の意はいうまでもないが、"読書"と"耕作"には共通するものがある。
 読書とは、いわば心地の耕作である。耕作の肝心は倦まず、弛まず、根気よくつづけることであろう。寛容と忍耐を要すると同時に、養う地道な作業といえまいか。「忍耐」には頷けるも、なぜ「寛容か?」と思う人もいよう。それは自然を相手に"我"は通せないからである。
 弛まぬ作業が必須ではあっても、天候次第で中断を余儀なくされる。だからこそ、そんな日でも倦まず、読書をして心を耕すのである。「晴耕雨読」とはそんな意ではなかろうか。労と時間を惜しまずに、よく耕された大地は多くの恵みを育むものである。
 辞書は読書の道具でもある。日々の作業である耕作によき道具は不可欠である。そして又よき道具というものは"倦まず、弛まず、根気よく"鍛え上げられたものなのである。その点では辞書の編纂もまた時代や社会、心の耕作といえまいか。
 そんな辞書の編纂がにわかにも注目されることは嬉しいことである。そこで今回は、同じような思いで「日本映画俳優全集」を称えた池波正太郎の随筆「日曜日の万年筆」(新潮文庫)の一部を紹介したい。始まりは池波氏の好きだった(無名に近い)脇役俳優との再会である。
 
  * * * * *

 撮影所の一室でカレーライスを食べていた私が、正面の広場へ出て来ると、多勢のエキストラが昼食後の休憩をしていた。その中に「焼きイモ屋」の玉島愛造がいたのである。彼は二十何年も前の黒姫の吉兵衛そのままの風貌で、黙々と、額の汗をふきながら休んでいた。
やがて渡辺監督が、玉島愛造をよび、何かささやくと、玉島老人は、まるで初舞台のときの若者のように真摯そのものの表情で聞き入り、何度もうなずいた。ライトがきまり、いよいよ撮影開始となった。監督の声がかかり、キャメラがまわりはじめる。
 玉島愛造は大岡屋敷の下僕の役で、庭から駆け込んで来て、山田五十鈴の奥方に何か急報する。セリフは、ただ一言だった。いったん、庭の外に出ていた玉島老人が駆けあらわれ、一言のセリフをいった。監督が「よし」と、一回でOKしたとき、われにもなく私は眼が熱くなったのだった。
 さて...。このほど、キネマ旬報社が「日本映画俳優全集・男優編」という大冊を発刊したので、早速に買いもとめ、先ず「玉島愛造」の名を探ってみると、まさに出ているではないか。それによると、玉島愛造は四国の宇和島の生まれで、東京の中学を中退したのち、独学で教員免状を取り、小学校の先生を八年間つづけたという。
 きっと、よい先生だったろう。その間、何と川端画学校で西洋画を学び、画家として十余年をすごしたのち、佐藤紅緑主宰の俳優養成所へ入り、東亜キネマから嵐寛寿郎プロダクションへ入社したとある。(なるほどなあ...)おもいもかけぬ彼の経歴を知って瞠目すると同時に、その経歴が玉島愛造の風貌や演技と見事に合致していることに気づいた。
 1890年生まれというから、私が撮影所で見たときの玉島愛造は七十歳になっていたはずである。ところで、この「日本映画俳優全集」は、まことに苦心の編集で、編集員たちの努力がまざまざと感じられた。スタアはもとより、準スタア級の脇役から、玉島愛造のように目立たぬ脇役まで、ほとんど網羅されていることに、私は深い感動をおぼえた。
 「脇役」は、どこの世界にも存在する。政治・経済・学芸・その他・もろもろの社会に主役の蔭のちからとなってはたらく人びとがいる。その中でも、俳優の脇役ほど、それが華やかな世界だけに哀れをさそうものはない。むろん、晩年の幸福を得た脇役は別のことだ。
 脇役といっても、たとえば志村喬とか山村聡とか、スタア級の脇役から玉島愛造のように、いつ消えたかも知れぬかたちで、世の中から忘れ去られてしまう人びともいれば、さらに、もう一つ下の脇役となれば尚更に名前も残らぬ。記憶にある、そうした脇役たちの名前を、私は夢中になって「日本映画俳優全集」から探しもとめた。
 いる、いる。矢野武男まで出ている。彼は片岡千恵蔵プロダクションにいて、子母澤寛の「国定忠治」を千恵蔵が演じたとき「めっかちの定市」という儲け役を得て活躍した。その他、瀬川路三郎、成松和一、林誠之助など、千恵蔵一党の脇役の名も、経歴や出演作品、エピソードや現状をふくめて収録されているではないか。
 無声映画のころの寛寿郎の「右門捕物帖」で、おしゃべり伝六を当たり役とした頭山桂之助や、同じく、あばたの敬四郎を絶妙に演じた尾上紋弥も出ている。七百ページに近い、この一巻の中に往年の脇役が総出演しているおもいがした。何と、うれしいことだろう。
 こうした脇役たちの業績と名前は、これで完全に資料として残り、後世につたえられることになった。それがうれしい。私が脇役に関心をもつのは、やはり、長年にわたって芝居の世界に身を置いていたからだろう。スタアに斬られては引っ込み、三階の大部屋へ駆けあがり、一息つく間もなく扮装を変え、またしてもスタアに斬られるため、舞台へ駈け出して行く。
 汗水たらしてははたらきぬく、こうした下積みの俳優たちによってスタアの栄光がささえられていることを、まざまざと、この目で見てきたからだろう。スタアたちが、たった一日のゴルフでつかう金額程度の月給で、一所懸命にスタアをささえる。
 だが、少なくとも二十年ほど前までは、こうした下積み俳優たちにも、「かならず、いい役者になってみせるぞ」との夢があった。そして、下積みの人たちの夢を、家族がささえた。あるいは友人がささえた。つまり、そうした余裕が世の中にあったからだ。
 ところが、いまのように息苦しい世の中になってしまっては、万事につけて、夢を育てる余裕と弾力が世の中から消えてしまったかのようにおもえる。現金がなくては、一か月を暮らすこともできぬ。一年ではないのだ。
 庶民たちは、困窮をしのぐちからを、どこかで借りたくとも、「ちからを借りるところがない...」ことになってしまい、また「貸してやりたくとも、貸してやるちからがない...」という世の中になってきた。そのことを思えば苦しみながらも夢を追いつづけることができた昔の下積み俳優たちの方が、しあわせだったかも知れない。
 いまや、自分を殺してスタアをささえるための夢と気力がもてなくなってきた。俳優の世界のみならず、世の中からすぐれた脇役が、しだいに消えて行くのではあるまいか。だから、すぐれた脇役なきところに、大スタアは生まれぬということにもなる。
 ここまで書いてきて、私は、ふと、むかし、大河内伝次郎の丹下左膳に「チョビ安」をつとめた子役の中村英雄のことをおもい出し、「日本映画俳優全集」のページを繰った。「...1943年1月3日、ジャワ島マラン南方にあった第七陸軍病院でマラリアが原因の心臓麻痺のため戦病死した」記載は、そこで終わっていた。

池波正太郎(いけなみしょうたろう)◎1923年(大正12年)1月生まれ。戦後を代表する時代小説・歴史小説作家。主な書著に戦国・江戸を舞台にした時代小説「鬼平犯科帳」「剣客商売」などがある。美食家・映画評論家としても著名であった。1990年5月3日逝去。