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インタビュー

プレートテクトニクスが 生む“動執生疑”

今月はインタビューをお休みし、特別編として「WORLD VIEW」を掲載いたします。

 「動執生疑(どうしゅうしょうぎ)」との言葉を聞いたことはあるだろうか。案外、日常で使用する言葉の中には仏教に由来するものも多いようだ。これもその1つで、本誌など震災の報に接するたび脳裏に浮かぶ言葉でもある。我流にいえば「執着を動かし、疑問を生じさせる」となろうか。
 そういえば、ある中国人の女性(日本留学生)がこんなことを言っていた。それは、「日本の書き下し文は、かえって私たち(中国人)にとっても、漢文の意味をよく理解する助けとなる」というものである。それを聞いたとき、なぜか「なるほど」と素直に感じられた。日本人のユニークさである。
 さて「時」というものは、未来から過去への絶え間のない流れである。だからこそ、われわれの心象は時として、不変の世界を生きているとの錯覚をする。いわゆる惰性である。不変にみえる世界も、実は絶え間のない変化の連続である。
 たとえば深発地震の原因を尋ねれば、"常の変化"といえるプレートテクトニクスによるものだ。長年に蓄積した変化による歪みの解消でもあり、常に変化の上に生きていることの再認識を促す現象ともいえる。「動執生疑」とはむしろ後者に重きをおいた言葉であり、視点は未来にあるように思う。
 目下、熱戦が繰り広げられる「2014ワールドカップ ブラジル大会」を意識したわけではないが、藤原正彦氏の著書「卑怯を映す鏡」(新潮社)から2つのエッセイを紹介したい。残念ながら今大会で日本代表は一勝もできず、決勝トーナメントに進むことができなかったわけである。
 本誌には、あのなでしこジャパンのワールドカップでの優勝に触れた、藤原氏の1つ目のエッセイには何か、今回の敗退のプレートテクトニクス的な原因を垣間みるような思いがしてならない。とはいえ、相変わらずの藤原節である。好き嫌いはご容赦願いたい。
 
 * * *
 
 なでしこジャパンが女子ワールドカップで優勝した。決勝戦で実力が上のアメリカに終始押されていた。残り時間10分の時、1対0でリードされていたが内容は3対0で負けていた。これでこぼれ球を拾った宮間が難しい同点シュートを決めた。
 驚いたのは宮間が一瞬ガッツポーズをするや、笑顔も見せずゴール内のボールを両手で拾うと、そのままグラウンド中央で走り始めたことだ。「同点など眼中にない」との信号だ。これがいかに見方を奮い立たせ、相手に恐怖心を与えたかは計り知れない。
 日本の女は怖い。私はこのとき初めて勝つかも知れないと思った。延長線でも実力差により1点を先行された。残り3分という大詰め、澤が宮間のコーナーキックを右アウトで後ろに蹴るという曲芸的シュートを決めた。
 中学高校とサッカー部にいて、「西の釜本、東の藤原」として名を馳せていた(家庭内で)私だったが、とてもあんなことはできなかったし、しようとも思わなかった。しかもこのプレーは、その直前に試合が30秒ほど中断していた間に打ち合せたものという。
 リードされた延長線の終了間際となれば疲労困憊もあり、普通ならこの試合はダメかなと思う頃だ。二人は相手の寝首をかく計略を練っていたのだ。女は怖い。佐々木監督の力量もあったはずだ。若い女性たちを掌握するのは大変なのだ。
 「やさしい」という。これなら私も同じだ。女性には異常にやさしい。「オヤジギャグの連発で失笑を買っていた」とも選手たちはいう。失笑も笑いのうちだから雰囲気を和らげるのだろう。PK戦前の日本チームに笑いが見られたのは、悲壮感みなぎるアメリカチームと対照的だった。
 オヤジギャクなら私も自信がある。失笑どころか嘲笑、憫笑まで買っている。また監督は夫人の助言により「身だしなみ、特に体臭と鼻毛に気をつけた」といった。夫人は「どんな言葉も鼻毛がのぞいていたら女性に伝わらない」と釘を刺していたそうだ。
 名将の陰に賢妻ありだ。私のここ十数年における敗因もここにあった。若い頃から誰にも負けない自信があった体臭の方は五十を過ぎた頃から少しずつ枯れてきたが、鼻毛の方は益々猛威を振るうようになった。白毛まじりの鼻毛がのぞいていることも時折あるが、これが致命傷とは露も知らなかった。
 愚妻も注意してくれなかった。私の異常な魅力に気づいている愚妻が悪意から黙っていたのだろう。なでしこジャパンの華やかな勝利が監督や選手の力量だけで達成されたとは、とても思えない。決勝ではアメリカのシュートが何本もポストに当たった一方、日本はほんの少ないチャンスで幸運にも得点した。
 PK戦では何と、アメリカの選手が初めから3人連続ゴールを外すという奇跡が起きた。試合後にアメリカのゴールキーパーが「何か大きな力が日本に味方した」といった。同感だ。監督は優勝候補のドイツ戦前に被災映像を見せ、「本当に苦しいときは、家を流され家族を失った人々を思って頑張れ」と選手を励ました。
 福島第一原発で働いたことがあり、映像をみて思わず号泣した丸山がこの試合で決勝ゴールを決めた。全員が東北を強く意識していたという。これがあの「あきらめない心」につながった。東北に余りにも酷い仕打ちをなした神も、この健気な選手たちの心に動かされ手を貸してくれたのだ。
 十数年前だったろうか、関東大震災を経験したある老齢の女性がラジオで語っていた。十歳だった彼女は迫りくる炎から逃れようと、両手一杯に荷物を抱いた母親と共に、まだ幼い弟を背におぶって家を飛び出た。火勢に押され逃げまどう群衆の間を縫っている間に母親とは離れ離れになってしまった。
 気がつくと川のほとりに出た。向こう岸へ泳ぎ出す人や深みにはまって溺れた死体などで一杯の川に恐怖を覚えながらも、髪からは白い煙が出ていたうえ、顔も身体も焼けるほどに熱かったから、そのまま胸まで川につかった。川面を這うように襲う火や熱風に耐えかね、頭ごと息の続く限り水に沈めては息継ぎのために顔を出す、ということを繰り返していた。
 火勢がやや収まったのをみて川から上がった彼女は、ふと背中に弟のいたことを思い出した。呼びかけても答えず、背から下ろしてゆすってみても応えない。水死していた----。彼女は70年近い年月を経てようやく語ることができ、一生の重荷を少しだけ降ろすことができたのだろう、涙ながらにそう話した。
 私は、この話を聞きながら、彼女の痛恨中の痛恨、彼女の人生にずっとたれこめていた苦衷と痛哭を思い、胸にこみ上げてくるものを抑えられなかった。先日、75歳という女性から手紙をいただいた。
 「私は富山の山奥に住む小作農の、11人兄弟の真中として生まれました。合掌造りの小さな藁ぶき屋根の家でした。終戦後2年ほどたち私が11歳のとき、5歳の妹が貧しさゆえに医者にみとられることもなく亡くなりました。丈夫な子だけが生きのびるという時代でした。
 この妹が亡くなる少し前、2人で家へ帰る途中の坂道でのことでした。私が『おんぶしてあげる』と妹にいってしゃがむと妹は嬉しそうに笑顔で走って来ました。なのに私は、妹が近寄るやさらに十メートルほど先に走ってそこでしゃがんだのです。
 妹は泣き出しました。その悲しそうな顔が今も忘れられません。大好きだったあの妹になぜあんな意地悪をしたのか、何度悔やんで何度泣いたことでしょう」
 この文章を読んだ私は、彼女の深い痛みにしばらく手紙をおいたまま、不規則な深呼吸を繰り返すばかりだった。たった五年間しか生きられなかった薄幸の妹を、ほんのふざけ心でいじめただけなのに。今度の東日本大震災でも、安易に語ることのできない、胸の押しつぶされるような悲話が数限りなくあったに違いない。

藤原正彦(ふじわらまさひこ)
1943年7月生まれ、日本の数学者であり、お茶の水女子大学名誉教授。専門は数論で、特に不定方程式論。エッセイストとしても知られる。