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インタビュー

想像力の活性化が文化(包装)を生む源泉

今月はインタビューをお休みし、特別編として「WORLD VIEW」を掲載いたします。

 「人は見掛けによらぬもの」といわれるが、そうした経験を持つ人は多いに違いない。身なりはもちろんだが、厳めしい相の人にかぎって心優しかったり、明朗快活な人ほど深い悲しみを知っていたりするものである。見掛けで分かるほど、そう人は単純なものではないのかもしれない。
 とはいえ、人生を凝縮したその人の魂は、身のどこかに表れているものである。「人の身の五尺六尺の魂も一尺の面に表われ、一尺の顔の魂も一寸の眼の内に収まり」とのごとく、顔や眼に表れたその魂を見て取れるか否かは、自らの魂の眼によるものではなかろうか。
 上っ面の世界に甘んじ(流され)ていては、けして見えない魂の世界がある。「若いころの苦労は買ってでもしろ!」とは、もはや月並みな言葉と聞こえるかもしれないが、苦労が魂を磨くのである。「苦労」といえば、眉間にしわを寄せあえぐ姿を想像するかもしれないが、「苦に徹すれば珠(たま)となる」である。
 何事も徹すればこそ見えてくる珠玉の光がある。その光に照らされて、心楽しまない人などいるだろうか。深まる秋の夕暮に、しばし世界が金色に染まるときがある。その光景とともに、知人の一人から「金色の世界に包まれて、しばし佇む(笑)」とのコメントが送られてきた。
 古来、「雪山に近づく鳥は金色になる」といわれるが、これは暮れゆく晩秋の夕陽(珠)に、磨かれた魂が金色に映えるといった体感であろう。少し大仰にいえば、われわれ人類にこれから必要なのは"進化"ではなく"深化"である。表層を舐めるようではなく、ひと皮、ふた皮と剥き進みつつ本質に至る生き方である。
 昨今は、政府が"女性の輝く社会"といった政策を柱に掲げるなど、女性の活用があまり喧伝されている感がある。もちろん少子高齢化を背景にした人口減が避けられないとなれば、現行の社会インフラを支える上で労働力不足は必至である。
 すぐにも外国人労働者を受け入れるとはいかないため、まずは「猫も杓子も」という具合に労働力を国内で賄いたいわけである。ちなみに「猫も杓子も」は、「女子も弱子も」に由来するとの説もあり、図らずも政府の掲げる主旨と合致している。
 こうした旗揚げは政府にお任せするとして、本誌では包装の未来を見据えて女性の本質に迫りたいと思う。そこに社会を活性化する女性の真の力があると思うからである。今回は、数学者の森毅氏のエッセイ「社会主義でいこうか」(青土社)を紹介したいと思う。数学者の何ともユニークな視点が女性の本質をとらえたものである。
 
* * *
 
 時代が大きく変わろうとして、いろいろと改革が叫ばれている。世論調査などの数字で見ると、はりきっているのは男で、女は慎重に現状維持が多いらしい。単純に考えると、男が変化を夢み、女が安定を望んでいるように見える。はたしてそうか。
 ぼくぐらいの年齢の老夫婦では、一方に先だたれることが多い。そのとき、残されたのが女の場合のほうが、当面はひどく落ち込んで、男だと体面があるのか、さりげなくふるまおうとしている。しかし、ものの半年もせぬうちに、じわっと落ち込んでいくのは大抵男で、女の場合はそのころすっかり立ち直って、新しいシングルの生活を生きている。
 もちろん、こうしたことは人さまざまで、男とか女とかに関係なく、変化に強い人と弱い人、それも短期的な当面の事態だけでなく、新しい環境に適応しやすい人としにくい人とがいるのだろう。それでも、全体としては、長期的に男と女で傾向に差があるように思う。
 それは、本来のものかどうかわからぬ。ひょっとすると、男社会の結果かもしれぬ。女だと、高校を出たあたりから、就職するか進学するか、進学するにしても、短大にするか四年制にするかなどと、選択の岐路がある。
 大学を出てからでも、就職するか家事見習いで結婚を待つかとか、就職してからも、結婚で仕事を続けるかどうかとか、子どもができて仕事をどうするかとか、いつも変化に直面している。その点で、男の生活はずんべらぼうで、子どもができたからといって転職を考える男はあまりない。
 いくら家庭を大事にしていたところで、社会共同体という安定したシステムに身をおいていることに変わりない。それだけに、終身雇用年功序列制の崩壊に青ざめているのだろう。もちろんのことに奥さんだって、夫がリストラされて家庭の安定が崩壊したらたまるまいが、妻の不安はたいてい夫の側の口実で、家庭環境が変わったら変わったで、その妻の方はけっこう新しい生活で生きていく。
 時代も社会も、変化があるのは当然のことである。生活に変化の要素を組みこんでいる女の方が、変化による当面の困難をよく知ってはいても、長期的にはなんとかなるということが身についているのかもしれない。とくに地震のような災害から2年か3年すぎた様子では、どう見ても女が明るく、男はいつまでも暗さにこだわっている。
 ぼくが戦後の若者だったころには、大家の奥様だったのに、空襲で家を焼かれ、ひっそりと暮らしているおばあさんなどがいたが、案外にけろっとして、過去にこだわらずゆったり生きているのに感心したものだ。時代がどう変わろうと、あのばあさんのように生きられたらいいな、というのがぼくの戦後派としての原点である。
 ぼくは若者だったころは、小説や映画などに熱中していたものだったが、大抵はそうした青春を思い出に封じ込めて、会社社会に生きてきた男が多い。その点で、このごろでは文学も映画も、おばさんがターゲットになってきている。このごろの男の子は、若者の時代から文学には遠い。
 このことで、彼らの老後には思い出の文学や映画すらないのではないかと、その未来をちょっと気にしている。もちろん、思い出だけより、そうした世界に想像力を維持しているおばさんの方が、おじさんより優位になる。
 人間が文化を持つということは、いつも想像力を活性化していることであり、心に想像力を蓄積していることこそ、変化に対して抵抗できる源泉であるのだから。男社会の女文化という逆説。この結末が、来世紀の最大の課題とさえ思う。
 1999年は国際年齢者年で、自分が老人になっていることもあって、老人としての生き方を気にしている。どうも、おじいさんとしての生き方より、おばあさんとしての生き方の方に分がありそうだ。なにより、おばあさんの方がおじいさんより長生きするではないか。
 もう自分が男であることにこだわる必要はあまりないのだから、おばあさんのように生きよう。テレビなどに出てくるおじいさんは、大抵過去にこだわっている。それよりは、現在を生きるおばあさんの方が素敵だ。過去にこだわらないということは、現在に文化を多くとりこむことによって達成される。
 どうせ時代も社会も変化していくものなら、まして来世紀には大きな変化が予測されるものなら、ふるさとだの家庭だのといった過去の安定にこだわってもつまらない。せめて想像力だけでもその安定から離れるのが文化の力である。本当はこの文章、おばさんよりはおじさんに読んでもらいたいのですがねぇ。

森毅(もりたけし):1928年1月に東京府荏原郡(現東京都大田区)に生まれる。大阪府豊中市で育ち、亡くなるまで京都府八幡市に在住。日本の数学者であり、評論家、エッセイスト。京都大学の教授を務め、名誉教授となる。専攻は、関数空間の解析の位相的研究。2010年7月に逝去。