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インタビュー

自らに摂理受ける癖ができれば聞えてくる声あり

今月はインタビューをお休みし、特別編として「WORLD VIEW」を掲載いたします。

 暮れゆく2014年に駆け込むように惜しまれつつも逝った著名人もいたが、けして少なくない。2015年を迎え、あらためて2014年の死亡数は戦後最多の126万9000人との現実が浮き彫りになった。逆に出生数は過去最少となり、それを差し引くと人口は8年連続の自然減となる。
 この人口減少と高齢社会との現実をどう捉えるか。「言というは心の思いを響かして声を顕すをいうなり」といわれるが、言葉と同じく行動もしかりで、そこでに表われるのは「心の思い」である。ゆえに、目の前の現実を"どう捉えるか"という心の思いで全てが決まる。
新年のあいさつとともに読者の方からこんな言葉が寄せられた。それは「上り坂は頂点を目指してひたすら歩く。下り坂は景色を眺めながら歩く。わたしはこの下り坂を楽しみたいと思います」との言葉である。目の前の現実がいかに厳しく見えたとしても、そこに善悪があるわけではない。
 それを善悪に感じ、プラスかマイナスかと推量るのは常に自らの心である。どうしたら何事もプラスに捉えられるのだろうか。それこそが高齢社会の「妙」、老いの心ではなかろうか。人口減少と高齢社会とは両輪である。言いかえれば、まさしく"下り坂を楽しむ心"であり、今回は老いの心に学びたい。
 小説家の水上勉氏のエッセイ集「植木鉢の土」(小学館)の一部を紹介する。その中に「最近は、よく聞こえるようになってきた」と記している。もちろん、もう故人ではあるが、水上氏がよく聞こえるようになったものとは何であろうか。われわれにとっても大事な声であることは間違いない。
 
 * * *
 
 浅間山の噴火で、いつか家もなにもどうせ焼けると思ってきた。だから、ものを持たないで生きるという暮らしが身について、あるのは梅干しぐらいで、きわめてシンプルな暮らしをしている。料理は精進料理、信州料理だから、食物繊維が豊富で、身体にいいのだろう。だが、今は畑ができない。
 草取りができない。しゃがむということができないのだ。いすに座って草取りでもないだろう。ものを持たないという発想はいいものだ。だが、前にも書いたが、紙だけはもっと漉いて、つくっておきたかった。
 「サライ」に連載の「折々の散歩道」に、「八十坂、百万本のつぼみかな」と、うそを書いて読者を喜ばしたが、そういう原稿が書ける紙、絵が描ける紙をもっと残したかった。だが、紙漉きは青森からきた小山久美子さんが伝承してくれた。
 そらからもう八年になる。そして、この紙を展示即売すると、ずいぶんと売れると聞く。最近になって、思いもよらない後継者もできた。千葉の松戸市で竹紙を漉く仲間ができたのだ。そもそもは、広い竹林に囲まれた茅葺屋根の屋敷を松戸市に寄贈した奇特な方がおられた。
 そこで、市はこの竹林と家を有効に活用するにはどうしたらいいかと考えた。そこに、私のことがつながったのだ。わたしは「フライパンの歌」を出版した前後、ほんの2年ほど松戸市の矢切に住んだことがある。それだけのことなのだが、市ではゆかりの人間ということで、何か残したいといわれた。
 わたしはお断りしたのだが、竹紙漉きを学ばせてほしいという。それならと承諾した。すると、松戸からわざわざ勘六山に学びにきて熱心に学び、しかも福祉に役立てたいという。障害のある人も熱心に学んでいた。わたしには断る理由もなくなった。
 2013年の4月には、市制施行60周年を記念して、松戸で「水上勉原作映画鑑賞会」というのが催され、同じ日に、その竹紙房の開村式もおこなわれた。古代からあった竹紙が甦り、さらに未来へと継承されていくのだと思うと、竹を漉く喜びが増す。
 思いもよらないところで、自分の蒔いたという意識もないところで、種が育っている。神の摂理もこちらに受ける癖ができると、神様は従順な人ほど声を小さく語りかけてくるらしい。最近は、よく聞こえるようになってきた。最近では、どこからか、「そこだよ」「今が大事だよ」などといって、背中を押してくれる気がする。
 神の声は、本当は誰にでも聞こえるのだろう。聞くか聞かないかの違いだけかもしれない。聞く耳、受け入れる心を持てば、きっと大丈夫なのだ。
 子規は六尺の病床にいながら、広い世界を見ていた。東京・根岸の子規の庵を訪問するもの、伊藤左千夫、長塚節、河東碧梧桐など、多くの俳人、歌人、弟子たちがひきもきらなかった。
 
病状苦痛に堪えずあがきつ
うめきつ身も世もあらぬ心地なり
 
と書く苦しみの中で、精神は、いのちは、いよいよ華やいでいた。松戸から来る伊藤左千夫の、切り通しを抜ける足音を聞いて、それを楽しみにする。雪の日、来客のげたの音で、雪の深さをはかる。山居していながら里人とのつながりも持っている「菜根譚」の著書と、死の床にいながら、広い世界を見ていた子規と、どこか通うものがないとはいえまい。
 死の床で苦しんだ正岡子規に、「人間の力のますます華やいで、死は迫らんとする」という言葉がある。老いはいつでもくるし、死もいつでもくるし、病気をすれば、死ななければならないし、浅間山も噴火するかもわからないし、大地震はいつ襲ってくるかもわからない。
 それはいつも死と隣り合わせているということ。そういう認識をもつことが華やぐことだとわたしは思う。そういう認識があるということは、ものを持たないという実証であろう。ものを持たない、老いるというと、世間ではマイナスとしてとらえるのだが、決してマイナスではないはずだ。
 老人であるからこそ語れるという華やぎもあり、知識と経験も豊富であるということを条件として、考えられることを文芸とするならば、華やぎ以外ないだろう。子規は老人ではなかったが、死と隣り合わせにいて、「歌詠みに与ふる書」と書いて、「古今集」をくそみそにやっつけて、実朝をほめたたえたことは、わたしがいうまでもない。
 
仰せの如く近来和歌は
一向に振ひ不申候
貫之は下手な歌よみにて
古今集はくだらぬ集に有之候
 
という口調で、当時の旧派の歌人を激しく攻撃し、実朝の「金槐集」を評価し、客観写生の重視を説いた。強い自信と決意にあふれた「歌詠みに与ふる書」には、ますます華やいでいくいのちがあった。
 
瓶にさす藤の花房短ければ
畳の上にとどかざりけり
 
という絶唱ともいえる歌がある。1901(明治34)年の作であるから、死の一年半ほど前の歌である。六尺の病床から見た藤の花が気に満ちあふれて見えたのだろう。そして、子規のいのちも気に満ちあふれ、華やいでいたのであろう。気とは、みなぎる気である。
 わたしの残存心臓は、三分の一でしかないが、子規のように華やぐことができれば、と思うのである。子規と自分をくらべることなど恐れ多いと思うのだが、子規は35歳、わたしは84まできた少年Aとして、年に免じて許されるかと思うのである。
 自分は死なない、不死身である、と信じたい。自分にだけは死も遅れてやってくると思いたい。しかし、死はいつかは必ずやってくるもの。避けられない死を前にして、生きようという気を持つことである。その意欲によって華やぐのである。
 老人力が華やぐのである。老人文化力というのか、欲というか、生命欲といおうか。それはまた、気を認識することでもある。ちかごろ、年は若いのに死体のような若者が増えたように思う。そういう若者に気をあげなくていい、その分、われら老人が気を持ったほうがいい。

水上勉(みなかみつとむ)…1919年3月、福井県大飯郡本郷村(現:おおい町)生まれ。小説家。苗字の読み「みずかみ」は本姓であり、筆名(ペンネーム)としては長年「みなかみ」が使用された。代表作に「雁の寺」(1961年)や「越前竹人形」(1963年)、「飢餓海峡」(1963年)、「一休」(1975年)、「金閣炎上」(1979年)などがある。2004年9月に逝去。