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インタビュー

風土とのかかわりの中で素材としての己を知る

今月はインタビューをお休みし、特別編として「WORLD VIEW」を掲載いたします。

 あらためてここで、ネパールで発生し甚大な被害をもたらしている震災に対し、心よりのお見舞いを申し上げたい。また被災された方々への速やかな救援・支援と1日も早い復興、不幸にも亡くなられた方々のご冥福を心からお祈り申し上げます。
 「大事の前の小事」とのことわざがある。「小さな事をけして軽んじてはならない」との意味だが、善きにつけ悪しきにつけ、大事に至るには必ず小事があるということだ。大事を成すには、けして小事を疎かにしてはならない。大事も小事も変化の連続性の中で表われるものである。
 首都圏屈指の観光地となる箱根山の大涌谷周辺では目下、小規模な水蒸気噴火の発生の恐れから噴火警報を出され、警戒レベルも1(平常)から2(火口周辺規制)に引き上げられた。昨年(2014年)9月の御嶽山の噴火はまだ記憶に新しく、「小事」への速やかな対応と思われる。
 この場合、変化の主体は自然(マグマ)であり、観光地といえどもいつまでも人を中心に考えていたのでは小事を見逃しかねない。何よりも自然に身(心)を寄せた観察や分析が不可欠である。たとえ目に見えずとも、計器では量れずとも人には自然とシンクロする感性が本来備わっているものである。
 ある意味で、そうした自然とのシンクロや小事を疎かにしない感性といったものは、女性の方が鋭敏なのかもしれない。今回は小説家の竹西寛子女史のエッセイ集「ひとつとや」(福武文庫)から、「蟻」と「忍耐」との2つの随筆を紹介したい。
 「二本の箸の両端が、自分のからだの部分のように違和感なく精妙に働く時、背筋はまず曲がっていない。私は、背筋をしゃんと伸ばした老人が、男でも女でも、茶碗を片手に箸を使っている姿を見るのが好きである」と竹西女史はいう。女性の見方にはいつも驚かされる。
 
 * * *
 
 大きな蟻が一ぴき、濡れ縁の端を上手に這っていた。顔を真近に寄せてみなくても、からだのくびれがはっきり見えるほどの大きさである。この蟻が、時々動きを止める。まるで物思いでもしているように。
 夏の午後、まだ陽が傾き出さないうちに、よく乾いた洗濯物を家の中に取り込む。浴衣や白足袋に軽く霧を吹いてから、皺を伸ばすようにして丁寧に畳み、花茣蓙に挟んで縁側などで押しをきる。茣蓙の上に座るのは女か子どもである。などと言ってもこれは今の話しではない。
 地方にいて、母もまだ若く、子どもも幼かった頃のありふれた夏の午後のひとときである。そんなことを思い出させたのは濡れ縁の蟻の動きだったらしい。あの花茣蓙の上や廊下の板目に沿って、庭から上がってきた大きな蟻が、同じように動いたり止まったりしていた。
 ほおずきの実が赤くなりかかるとお盆がきた。私の育った地方では、旧のお盆しかしなかった。つい2、3日前のこと、朝、雨戸をあけて何気なく庭を見廻した。ふと、近くの下草のあたりを窺うと、一枚の落葉に、直径3センチメートルくらいの真黒なものがくっついている。
 まわりの緑やわずかな落葉の黄ばみの中で、その黒いものには目をひく光沢があった。気になって、庭に下りた。気づかないでも不思議ではないのに、どうしてこれに気づいたのだろうかと思いながら、黒いものに近寄っていくうちに、その塊がおもむろにうごめいているのが分かった。
 蟻の群れだった。しかも、一ぴきずつは小さな小さな蟻の群れだった。塊の中央に何やらうす青いものが立っている。山高帽子のようだと思ったが、じきに、海中に突っ込んだ遭難機の尾翼のようだと思い改めた。すでに半身にされてしまった青虫が、蟻の動きにつれてわずかな動きを見せていた。
 私は反射的に空を仰いだ。それからもう一度下界の大事件に目を落した。いつもと同じように、近くの車道には朝から頻繁な車の往き来があった。鳥の囀りがあった。新聞配達の人の軽快な足音があった。視点を変えるという。
 とかく人は、一つの視点に固執して判断を誤り、物事の本質を見失うことが少なくない。だから、視点は柔軟に変えてみる必要があるという。なるほど口でそう言うのはやさしいが、いちばん難しいのは、自分に対しての視点を柔軟に変えることかもしれない。
 自分の中の他人という言葉も、今なら使ってもいいと得心して用いる時もあるけれど、自分でいながら同時に他人の目をもつことが、大切だと分かっていても、私の場合決してやさしくはない。
 同様に、自分を見るように他人を見るといっても、都合のいい部分だけ、自分の経験によって他人を想像し、自分を見る目と同じ目で他人を見ているなどと錯覚している時のほうが多いのではないかと思う。
 すぐれた作品を読むと、ほとんど例外なく、作者の自他に対する平等な目に感嘆させられてしまう。これにはむろん訓練が必要だろう。しかし訓練だけでは不可能かもしれない。
味覚の傾向が、その人の生まれ育った土地や両親の好みと深くかかわっているのはよく言われることだが、これは味覚だけでなく、感受性の傾向一般にもひろげて考えることができる。
 「古今和歌集」や「新古今和歌集」のような作品は、砂漠や氷河の地帯にはまず生まれないであろうと思うし、「マクベス」と「静かなドン」のような作品は、たとえば温暖な瀬戸内海沿岸にはこれまた期待しがたい作品かと思う。むろんこれは大まかな見方であって例外まで否定するのではない。
 若さの特権は、事実に対する物怖じを知らない否定にもあって、風土とのつながりを潔しとしない時期は私自身にもあった。事実を事実として認めることと、同じ事実を肯定することとの間には無限の隔たりがあるはずであるが、たとえ否定するにしても、また肯定するにしても、事実を事実としてまず認めることが先決であり、そのためには、日頃から目の忍耐に必要な相当なエネルギーを蓄えなければならない。
 多かれ少なかれ、物をつくってゆくには、事実を事実として認める目や耳がいる。分析も帰納も想像も強調も、そこに起っている。一見、非現実的な作品でも、確かにあり得る世界、あり得たかもしれない世界だと心動かされる時には、作者の、この世界に対する事実認識の非凡が、黒子のような働きをみせているのだと思う。
 憧れや羨望だけで物が生まれないのは、文章を書く場合も料理を作る時も同じである。素材の特色をいかさない調理や料理は、作り手の、素材に対する事実認識が甘いということになるだろう。この頃では旅行者の味覚に媚びた「郷土料理」が多くなって、この状態での先行きは、所属不明の料理の氾濫である。
 交通の便利には、当然そういうことがつきまとっている。ある程度は避けられない現象だと思うけれども、素材の事実を重んじて調理、料理する人のいる限り、風化現象はどこかでくい止められるだろうと楽観する。楽観したい料理の素材が素材らしく保たれるのは、風土を生かした栽培による時である。その土地にふさわしい作られ方をした結果、素材は、そのように作られたものだけが持つ栄養と風味を兼ねることになる。
 折角そのようにして作られた素材も、素材としてよく見ない者の手にかかる機会が増えれば、そのように作られることがばからしいという、嘆かわしい素材の作り手も出るだろう。これまた風化現象に拍車をかける結果になる。
 いったん風化現象の中で失われた栄養と風味は、容易にとりもどすことができない。組合運動や法律による規制以上に大事なのは、人間一個の事実認識の目の養いかもしれない。小さなことに始まらなければ、とても大きなことなど望めない。
 風土とのかかわりの中で、素材としての自分をどのように認識するか。むずかしいけれども、どのような風土を表現するとき、自分の内奥がもっとも自由に弾むかを時々考えてみる。ながめてみる。
 この内奥の弾みは、無意識だけでもなく意識だけでもなく、両者渾然としていて多分自分自身である。それをよく見ながら、偽らず、馴れ合わずに生かしてゆかなければならない。自分自身とのつき合いにも忍耐が要る。

竹西寛子(たけにしひろこ)
1929年4月、広島市生まれ。県立広島女子専門学校(現広島皆実高等学校)に入学、戦争末期には学徒動員により軍需工場などでの勤労奉仕に従事。早稲田大学教育学部国文科を卒業後、1957年に筑摩書房に入社。1962年に退社、執筆活動に専念。主な著作に評論「往還の記----日本の古典に思う」、小説「管絃祭」「贈答のうた」などがある。日本の小説家、日本芸術院会員、文化功労者。