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インタビュー

生命の存在様式-----自らと環境(他人)とが 織りなす大叙事詩

今月はインタビューをお休みし、特別編として「WORLD VIEW」を掲載いたします。

 「事実は小説よりも奇なり」というが、過ぎ去りし「2015年」は善いことも悪いことも含めてまさしく、それを実感できた1年ではなかったであろうか。全てが変わりゆく性を持っており、その変わりゆく先は現実に"蓋を開けてみるまでは"誰にも分からないということである。
 最も身近なところで誰もが感じることは、歳を重ねるほどの人生の妙であろう。「人生は筋書きのないドラマ」とはいうが、確かに"筋書き"のようなものはある。だが、そればかりでは語れない、又は計れない何かの力が働いている。目下上映中の「杉原千畝」も、「なぜ今?」という疑問が湧く。
 これも見えてないところで、様々な条件(環境)が整い、ようやく何かが動き始めたとのシグナルなのであろうか。ここでは杉原氏のことは置く。ただ、それにしても演者が「千畝さんが生きていれば、なぜこんなことをしたのか聞いてみたい」といい、あるTVキャスターは「勇気ある行動」と評した。
 しかもシリア難民の話とかぶらせてである。一体、何を観てそういえるのであろうか。まるで対岸の火事を望遠鏡で覗くような言葉で意味不明である。杉原氏の何をもって「勇気」と表したのか。命にかかわる現実を目の当たりにして、自らの(できること)任務を放棄するとの選択肢を考えられたであろうか。
 もちろん、それは他人の命を自身の命として捉えた杉原氏の正視眼があったからだが、本誌はその場にいれば誰もがそうしたものと信じたい。たとえ対岸の火事であっても、かかわりのないということはない。目には見えないことも全てが、自らを完成させるプロセスのなかにある。そんなことを考えるため、今回は多田富雄氏の著著「生命の意味論」(新潮社)の一部を紹介したい。
 
* * *
 
 個体の形をつくり出す過程は、いうまでもなく遺伝子的に決定されている。だから人間から人間が生まれるので、サルやニワトリは生まれてこない。しかしその過程は、きっちりとすべてがブループリントで決まっているわけではないらしい。
 まず個体形成の大もととなる細胞群が現れ、それが周囲の細胞に働きかけてそれを変化させ、その結果として次のプログラムが呼びさまされてゆく。それが順序正しく起っているものだから、全部が初めから決定されているように見えるだけなのである。
 すなわち、動物がその形をつくり出す過程には、造物主である遺伝子DNAにばらばらに書き込まれている情報を次々に引き出しながら、自分で自分をつくり出すプロセスが含まれているのだ。まだ何ものでもない細胞が情報をつくり出すと、周辺の細胞はそれをキャッチし、それを何ものかに変える。
 さらに他の細胞と情報を交換しながら、次々に必要な遺伝子を発現させ、組織化してゆくプロセスである。それこそ、受精卵という何ものでもないものから、固体という存在がつくり出される過程なのである。
 そこには、遺伝子的な決定のほかに、重力とか温度とか、外界の化学物質の濃度、細胞の密着度などの偶然の要素が入り込む。遺伝子が完全に同一である一卵性双生児でもかなりの外見上の差が認められるのは、そういう偶然が働いたためである。
 ここで述べた「誘導」という過程は、初期胚の発生がかりでなく、そのあとで起こる脳の発生、脳下垂体やレンズの発生、血球の発生、消化管の部位の決定などでも証明されている。個体という「自己」を持った全体の形成は、こうした誘導が有機的に積み重なった結果なのである。
 別に設計図と照らし合せて、うまく行ったかどうかをモニターするような上位の中枢があるわけではない。カエルやイモリのような両棲類と人間のような哺乳類では、厳格にいうと違うところが沢山あるが、このような初期発生で起こっていることは基本的には同じである。
 人間では受精卵が分裂を始めて、16個程度の同じような形の細胞から桑の実のような形になるまで、どの細胞が何になるかは決まっていない。つまりこの時期まで受精卵は、同じような細胞を分裂しながらつくりつづけただけなのだ。
 したがってこの時期までに、胚を二つにわけると一卵性双生児ができるはずである。未決定のものから運命をつくり出すのは、その後の偶発事件である。人間の場合は、細胞の魂のなかにすき間ができて内腔を持つようになる。
 偶然内側に位置することになった細胞から胎児が形成されるが、外側の細胞の大部分は胎盤になってしまう。内部の細胞塊では、周囲の環境からの誘導によって特定の遺伝子が発現し、それをもとに次々に決定が進行して胎児のもととなる胎芽がつくり出されるのだ。
 その過程では原因が結果をつくり、その結果が次の原因となって発生は進む。それを進めるのに関わっているのが、広い意味でのサイトカインに属する不確実な分子だったのだ。
私が私の形をしているのは、こうした事件が系統的に積み重なって、何でもない受精卵から、すべての態勢と個別性を備えた個体がつくり出されたからである。私というものは、初めから決まってはいなかった。細胞間の段階的な情報交換の結果、なんとかうまく生成することができた危い存在だったのである。
 私は動物の個体が発生してゆく過程のなかでも、ことに後成的な部分のみを強調してきたが、ここでもう一つの無から有の発生モデルを検証しておきたい。それは、動物の個体が、「自己」と「非自己」を識別して「自己」の全一性を護る機能、すなわち、免疫系の発生の仕方である。
 私がこの本で点検しようとしている生命の存在様式、「超システム」は、まずあらゆる可能性を秘めた何ものでもないものから、完結したすべて備えた存在を生成してゆくシステムである。その多くの部分は、遺伝情報を担うDNAの決定に頼っているが、そうでない部分もある。
 遺伝情報はばらばらに書き込まれており、その読み取り方、実行の仕方にはかなりの自由度と偶然が入り込む。生命システムの生成は偶然と確率を伴なっている。そこに、DNAの決定から離れた「超システム」としての生命の形がみえてくると私は考えている。
 卵から発生する個体、幹細胞から発生した免疫造血系の「自己」。その成り立ちと、働きを眺めた上で、もう少し「超システム」について考えてみよう。大もとは、いずれもそれ自身では何の働きも持たない一個の細胞に過ぎなかった。初めのうちは分裂する度に、自分と同じものをつくる。
 すなわち複製だけをやっている。そこに偶然が働く。イモリの胚では、重力の関係で上下が決まって、細胞の不揃いが生ずる。上の細胞に比べて下の細胞の方が大きい。無重力の宇宙船でイモリの発生の実験をした理由には、上と下はどうして決まるのかという問題も含まれていた。
 卵細胞のころ精子が突入した側に位置するようになった細胞と、その反対側に位置するようになった細胞でも運命は違ってくる。厄介な議論は抜きにするが、カエルでは精子が突入した側に、分裂の結果偶然した細胞が、一般には腹側をつくり出し、逆の方が背中になる。
細胞は自分のおかれた位置の情報を知り、それにサイトカインなどの誘導の情報が与えられて、多様な細胞に変化してゆく。これを「自己多様化」と呼びたい。自己多様化には、このような機能的に異なる細胞群への分化を中心とした第一段階の自己多様化と、あとで述べる免疫系や脳神経細系にみられるような、一つの細胞群のなかで多様な分子や結合をつくり出す第二段階の自己多様化を起こすものとがある。
 多様な細胞は、お互いに疎外したりくっつき合ったり、異なるサイトカインを使って交信して、心臓や腎臓、肝臓などの臓器をつくり上げてゆく。それは、「自己組織化」と呼んでよいだろう。

多田富雄(ただとみお)
1934年、茨城県結城市生まれ。東京大学名誉教授。専攻・免疫学。元・国際免疫学会連合会長。1959年に千葉大学医学部卒業し、同大学医学部教授、東京大学医学部教授を歴任。71年に、免疫応答を調整するサプレッサー(抑制)T細胞を発見して、野口英世記念医学賞やエミール・フォン・ベーリング賞、朝日賞など多数受賞。84年には文化功労者となり、能に造詣が深く、「無明の井」「望恨歌」「一石仙人」などの新作能を手がける。2001年5月に脳梗塞で倒れ、右半身麻痺と仮性球麻痺の後遺症で構音障害、嚥下障害となる。2010年4月に逝去。