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インタビュー

モノづくりの表現とは「見尽くす」精神と「手わざ」の技術

今月はインタビューをお休みし、特別編として「WORLD VIEW」を掲載いたします。

 あるとき知人から「そういえば、10年くらい前の中学校の国語の教科書に『包む』って題名の話が載ってたんだけど知ってる?」と唐突にメールをもらい、そのあとで教科書表紙の写真と「木下順二・加藤周一・松村明(監修)、中学国語2(1988年)教育出版、やまだようこ著『包む』」との情報が送られてきた。
 気に掛けてくれているのだろうが、「なぜその掲載面を送らない?!」と思いつつ、著者の「やまだようこ」を調べながらも目当ての教科書にはたどり着かないままとなっていた。ただ、慌ただしく過ぎゆくときなかで、「心理学者の『包む』とは?」と気に掛かってはいたのである。
 そもそも「なぜ、ひらがな表記にしたのか?」と、まず興味のわくところである。ただ、それ以上になぜ(心理学者が)「包む」ことに関心を持ったのか。いや関心だけで教科書に載るわけがなく、学者なだけに何かしら自らのフィールドと関係づけているに違いない。
 もちろん「包む」との行為には、たぶんに心理が表れているとはいえ、やまだ女史はただの心理学者ではないに違いない。いまだ目当ての教科書には至らずも、いくつか著書を読むとそれは明らかで、たとえば浮世絵師の葛飾北斎を"狂人の好奇心"として自らのフィールドに引水している。
 面識もなく目上の人に対して恐縮だが、彼女もまた"狂人の好奇心"を持つ人であり、「奇人」「変人」の類に違いない。そうした考えの一端を知ってもらいたく、今回はやまだようこ・サトウタツヤ・南博文編の「カタログ現場心理学―表現の冒険―」(金子書房)から、"はじめに"の一部を紹介する。
 そこに「この本から大きなうねりが向かっている未来の予感をつかみとっていただけたらありがたい」と記されており、書を通じてとはいえ、異なるフィールドに同志を見つけた思いで嬉しい。
 
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 現場研究では、質的データを扱うことが多いが、そのデータはどのように意味あるものにまとめるか、どのように記述し表現するかということ自体がむずかしい。数量的データ処理の型にとらわれない、新しい表現法を創っていかねばならない。
 トップ・ダウン的な入門書、教科書、技術書、解説書をつくるのではなく、読者が主体的にどこからでも自在に採取・活用して、ボトムアップで生成的に自分の研究に役立てる具体的見本帳をつくることを企てた。そこには、私たちの研究現場へのこころざしが込められている。
 たとえば、19世紀江戸時代の町民文化に生きた絵師の仕事に範をとってみよう。彼らは、「写生」というある種のリアリズム追求と、「物尽くし」という表現・伝達をさかんに行った。写生は、生写しとも呼ばれた。
 ものごとをありのままに見る、見て、見尽くすという徹底した「観察」の精神がその基礎にある。たとえば大胆な構図と色彩で「動植綵絵」を描いた伊藤若冲は、数年間庭先の鶏だけを毎日つぶさに見て、その生態をすみずみまで観察して写生した。
 彼が、当時の伝統的な修行法であった中国の絵の模写を止めて、生きた実物の生態的観察に転換したのは、「中国の画家は本当のものを見て描いているが、自分はかれらが描いたものを写しているにすぎない」と考えたからである。
 若冲は、徹底して鶏を観察し写生したのち、草木や他の鳥、虫や魚のすがたなど動植物を広く観察し、それらのすがたを知り尽くし、それらの内にひそむ「綵」(美しい綾)を手でつかみ、筆が自然に動くまでになった。「物尽くし」の表現は、このような「見尽くす」精神と「手わざ」の技術に結びついている。
 物尽くしの見本帳といえば、葛飾北斎の描いた「漫画」(これは戯画というより、絵手本である)が代表的であろう。19世紀後半の西洋美術に多大の影響を与えた浮世絵の流行は、まず印象派生成期の画家たちが彼の漫画を見て驚いたところからはじまった。
 観賞の対象としての静的な絵としてよりも、絵を描く実作家たちのアクティブな「手本」として「生成的」な意味をもったことが重要である。「絵手本」は、画狂人・北斎の好奇心と見尽くし精神があふれた多様な「表現の実験」であるとともに、画家たちがあこがれる「模範」となり、職人たちの「実用的な図案集」ともなった。
 私たちが21世紀の未来にこめるカタログの「こころざし」が、このような過去の試みとも生成的にむすびつき、さらには、時代や社会や国などを越えてむすばれていくことを願っている。
 現場研究、とくに質的研究においては、実験研究や調査研究のように習うべき定型がなく、良いモデルが提供されていない。「定型」「雛形」「モデル」「やり方」は、「かた」から入るためにも「かた」から出るためにも必要である。定型がないことは、研究者の自由創意を生かせる良い点ではある。
 しかし「かた」がないと、初心者にはむだな試行錯誤が多くなり、経験者には「はじめの一歩」から次のステップへ進むことを難しくし、せっかく開発された方法や技術も蓄積しにくい。
 私たちが考える「かた」は、人々を鋳型にはめ込み流派を固定する型ではなく、人々の個々の試みが多様で多声で複雑な図柄のまま自由にゆるやかに共存する「カタログ=見本帳」である。現場研究の方法論は、生成的な共同の知(common knowledge)をつくる科学的方法論として整備されるべきであろう。
 現場研究においては、できるだけ「多様な研究モデル」を提供し、そこをベースに新たな生成を生み出していけるような「共同の知」をつくっていく努力が必要である。
 現場研究、とくに質的研究においては、単なる「データ処理」ではなく、データのまとめ方自体がその研究者の理論と方法論を統合した「表現」になると考えられる。
 質的データは、単に質量的データの初歩的段階ではない。数量的な処理とどのように相補的に併用するかということを含めて、「質」は質でなければできない「表現」を目指すべきである。
 したがって、得られた結果をどのように意味あるデータとしてまとめ、提示していくか、それを工夫すること自体が、現場心理学の本質的なトータルな作業だと考えられる。
 現場研究においては、新たな研究の「表現方法を開発」し、積極的に提案していくことが必要である。「おもしろい研究」「斬新なアイデア」「方法論的工夫」「理論的提案」を積極的に表現し、共に鍛えていく「共同生成の場」が必要である。
 さまざまな領域にわたる多様なアプローチ、オリジナリティが高い独自の発想、自由な生き生きとした記述など今までにない心理学の表現が試みられている。そして、全体としては、多様で個性的でありながら、個々バラバラでも雑多な寄せ集めでもなく、多色で多声で多柄の織物が現在進行形でゆるやかに織られつつあることがわかっていただけるであろう。
 
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 語りのアプローチは、話し手と聞き手の関係性と状況、対話による共同生成的な変化プロセスを重視するところに特徴がある。また日常生活で普通に使われている「語り」を丁寧に観察し聞きとるところから出発していること、語りをカテゴリーに分類して数量化することよりも、「実際に語られている生き生きとした生の言葉」による表現を試みていることにも注目いただきたい。
 現場心理学は、心理学のテーマを変え、世界や他者への向かい方を変え、研究方法を変え、表現のしかたを変えていくだろう。一見すると日常生活によりそっているぶんだけ、平凡に見えるかもしれない...ちょうど「人生」や「語り」という日常がそう見えるように。
しかし、発見されるべき真に大切なものは、遠くにあるのはなく、現に「ここに」にあるはずである。

やまだようこ(山田洋子)
1948年、岐阜市生まれ。1970年、名古屋大学文学部哲学科心理学専攻卒、1976年、同大学院教育学研究科教育心理学専攻博士課程退学。1988年、「乳児期における言語機能の基礎過程としての認識行動とコミュニケーション行動の発達」で名大教育学博士。愛知淑徳大学教授、京都大学教育学部教授、同教育学研究科教授、2012年定年退任、名誉教授。立命館大学特別招聘教授。専門は生涯発達心理学、ナラティヴ心理学。