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インタビュー

パッケージは生活を実感する“所有の手応え”

今月はインタビューをお休みし、特別編として「WORLD VIEW」を掲載いたします。

 日本の選手たちが大奮闘し、ほぼ同時に進行する「世界卓球選手権ドイツ大会」と「全仏オープンテニス」で繰り広げられている熱戦に釘づけとなっている人も少なくなかろう。とくに卓球では10代の選手の活躍が目覚ましく、ほぼ半世紀ぶりのメダルラッシュである。
 かつてアニメで記憶した「ニュータイプ」との言葉を思わせる戦いぶりだが、やはりスポーツのおもしろさは年齢や性別を超えた、戦いのなかで示される圧倒的な人の存在感ではなかろうか。かのアインシュタインの示した「E=mc2」とのエネルギーは質量に比例することをあらためて実感する。
 「質量」とは、いうまでもなく地上で計る(重力下での)重さではなく、物体が有する物質の量である。もちろん人であれば、人体を構成する物質が異なるわけはなく、それは心であり、思いの質量といった違いであろう。テニスも卓球も球技であり、技やスピードにくわえて「球」に思いが乗るのではなかろうか。
 競技として追うのは球に違いないが、まさに戦うのは相手の存在感とはいえまいか。「威光」との言葉もある。相手を圧する威は「m」であり、光は「c」で、威光はエネルギー(E)であり、その存在感である。互いに技を極めるゆえに、その存在感を認識できる。
まさしく、その質量×質量といった戦いの様相は相撲に通じるものがある。そのエネルギーの衝突といえるものが、観る人を感動させないわけがない。なぜならば、われわれの質量も、エネルギーに動かされているからである。
 今回は、免疫学者の多田富雄氏が作家の五木寛之氏はじめ、11人の多彩な人たちとの対話をまとめた「生命をめぐる対話」(ちくま文庫)のなかから、文化人類学者の青木保氏との対話の一部を紹介する。対話の一部では伝わりにくい面もあろうが、是非とも一読をお勧めしたい。
 
* * *
 
多田 私は文献を検索するとか材料を検索したりする場合にはコンピュータを使いますが、どうも情報を所有したという感じがしないんです。情報の渦中にいながら、確かな所有の手応えがない。
 情報を所有するんだったら、たとえば岩波文庫を一冊買ってポケットに入れた方が、読まなくても情報を所有した気になります(笑)。これだけ山のごとく情報があっても、情報の所有感がないというのは変なものだと思いますね。
 それから、たくさんの情報を検索して全部手元に置いたとしても、たとえばゴキブリの情報を得たいと思うとき、私は一番いいのはゴキブリの死骸を持ってきて手の平にのせ、ころころ転がしてみるのが最高の情報だと思うんです。
 それに相当するくらいのディテールと実存感を持っている情報は、どんなにコンピュータを使っても出てきませんからね。だから、よく情報社会といいますが、そういう点では私は本当に必要な情報を人間はますます手にすることができなくなっているんじゃないかという気がします。
 
青木 そうかもしれません。私たちは情報化されたものをコンピュータにインプットしたり引き出したりはしていますが、その情報をどういう形で得るかが本当は大きな問題なんですね。
 たとえば人の名前も、自動的に戸籍上の名前がインプットはされますが、実際には生まれてから死ぬまでに10くらいの呼び名があったりする。愛称だったり、芸名だったり、狭い仲間うちだけでの呼び名だったり。
 そのとき、一人の人間をどのような名前を基準にしてみるかで、全くその人間との結びつきやまた見方が変わってきますね。タイなどへ行きますと、タイでは学生同士が基本的には兄弟姉妹のように「お兄さん」といった呼び方をする。それからニックネームがすごく多くて、めったに本名では呼ばない。
 自分も戸籍上の名前、つまり自分の姓名は使わない。姓名というものはもともとなかったんですから、戸籍も日常生活ではほとんど機能していない。首相など公的な人間でも、いわゆるファースト・ネームで呼んだりするわけです。そういう社会へ行きますと、どういう名で呼ばれるかが非常に重要な意味をもっているわけです。
 
多田 姓がやたら長くて、とても丁寧にミスターつきでは呼べないというのもありますね(笑)。
 
青木 ですから、姓名なしでやっていける世界なんですね。そういうことが色々とありますから、情報、情報といいますが、どんな情報が必要で、それをどういう形で得るかが一番問題になります。
 それについては、これまでの社会調査などに基づく社会科学があまり人類に貢献していないのは、情報の取り方が一方的だからなんです。やはりこのような多田さんに実際にお会いしてみると、写真で拝見している印象と違って、色々とおもしろいことをおっしゃる方だとか、笑い方がいいとか(笑)、分かってくるわけです。本当は、そういう情報が一番必要なのに、実際はまことに少ない。
 
多田 そうですね。同じ情報が、違うコンテキストのなかでは別な意味をもつわけですから、そのコンテキストまで一緒に見ることが大事なんですけれど、コンピュータはそれをやってくれませんからね。
 
青木 コンテキストまで見られるような情報が本当の情報だと思いますが、実際にはほんの点しか情報を集めない場合があり、点を結びつけてコンテキストができるかといったら、それはできません。コンテキスト自体はやはり生命体のようなものですからね。常に動いている。
 昨日の状況と今日の状況とは違う場合もありますし。ともかく異文化社会で社会調査をすると、一つの事実をはっきりさせるのに名前一つ聞くのでも、10日くらいかかることがあるんです。そのために日本に帰ってくると、何やってるんだといわれてしまう(笑)。
 最初、社会学者と一緒にタイへ調査に行きまして、調査票を使って調査したんですが、家族という項目に誰も彼も15人から20人と書いてある。いくらなんでもこれはおかしいといちいち聞いていくと、同居人も入れて家族と一緒に住んでいる人は、みんな家族成員になってしまうんです。
 では血縁の関係だけ拾い出せるかというと、血縁関係の意識は非常に薄い面がある。だから、日本人が考えている核家族を中心とした家族とタイの一般の人の考えている家族とは全然イメージが違っていて、何人家族ですかという質問は通用しなかったのです。
 そういうことが色々あって、調査をやり直したりしましたが、そういう経験から、情報を取ることには慎重になりますね。宗教のようなものに関わると、もっと大変なところがありますし。
 情報化社会といっても、人文社会系の場合はやはり情報の取り方が問題で、机上で考えられた、学者の研究として考えられた想定問題と、それに返ってくる答えのギャップがあまりにあり過ぎるのが一番大きな問題だと思うんです。それが、なかなかうまくいかない理由ではないかと思います。
 ですから、そこでいかに精密な質問をしても、それは確かにある点ではそんなものは統計上の変数とか何とかで処理できるといわれるんですが、どうもそれでやっていると、依然として人間というのものが浮かび上がってこない。といって、調査をもっときちんとやらなくてはいけないんですが、それには調査者である自分をどこに置くかという問題が関わってもきます。
 
多田 そういう点で、やはり生物学の最近の成果が役に立つかもしれませんね。たとえば一つの細胞が同じ情報を認識しても、そのとき第二の刺激がどう入るかどうかによってその細胞の行動が変わる。それもやはり一種のコンテキストのなかで情報を読んでいることなんですね。 

多田富雄(ただとみお)
1934年、茨城県生まれ。千葉大学医学部卒。東京大学名誉教授、免疫学者。1971年に、免疫反応を抑制するサプレッサーT細胞を発見した。野口英世記念医学賞、朝日賞、エミール・フォン・ベーリング賞など受賞多数。2010年逝去。
 
青木 保(あおきやすし)
1938年、東京生まれ。文化人類学者、大阪大学で博士号取得。大阪大学・東京大学・政策研究大学院大学教授、文化庁長官などを務めた。サントリー学芸賞や吉野作造賞などを受賞。