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インタビュー

パッケージをモノではなく、現象としてとらえてみる

今月はインタビューをお休みし、特別編として「WORLD VIEW」を掲載いたします。

 世情騒乱して百家争鳴ともいいたいところだが、あの「アウフヘーベン」との言葉に象徴されるよう、なにか人を煙に巻くような身のない騒がしさである。つい「策士策に溺れる」という人もいるようだが、賢明な人は百家争鳴の内に身も心もないことをすでに見ぬいているに違いない。
 そうしたことも分からず、身のない策に血道を上げていくならば、かのシェイクスピアの戯曲のセリフではないが「一生懸命にがんばって、浅ましい人間になりました」とはなるまいか。それほど悲しいことはない。「策とは何か?」といえば「HOW TO」である。
 「HOW TO」は、どこから生まれたかと考えてみれば、過去の成功体験であろう。ならば、過去の延長線上になり未来は図れまい。今必要なのは策ではなく、わが身と心とを存分に働かせて未来を拓く、いわばパイオニア(創業)の志である。
 「建設は死闘、破壊は一瞬」というが、死闘に時間と熱(エネルギー)を惜しむことがあろうか。限られた時間とエネルギーならば策を弄する余裕などなく、一点突破に集中することである。比肩することはできまいが、作家の阿川佐和子氏のインタビューの秘訣は、「(本当に聞きたい)質問を一つだけ用意する」とのことだ。
 そして、その答えをじっくり聞き、その答えのなかに次の質問をみつける。そうすれば語りがどんどん開いていくというのである。これがパイオニアの精神ではなかろうか。今回は、その阿川氏と生物学者の福岡伸一氏との対談集「センス・オブ・ワンダーを探して 〜生命のささやきに耳を澄ます」(大和書房)から対話の一部を紹介する。
 
* * *
 
福岡 そろそろ私も人生のしまい方を考えないといけないと思っているんです。
 
阿川 今、お幾つですか。
 
福岡 51歳(2011年11月)。
 
阿川 まだまだ、人生の3分の2ぐらいまでしか来てないじゃないですか。
 
福岡 いや、あと何年書けるかなって考えるとそんなにないですよ。あと10年かな。20年は絶対書けない。何度かお話してきたように、私はドリトル先生になりたいと憧れたけれどなれなかった。分子生物学者になって幾つかの遺伝子を発見したけれど、生命の探求をしていたはずがいつの間にか死の生物学者をやっていた。だから、そろそろしまい方を考えないと、私はこのまま死の生物学をつづけて終わってしまうと思ったんですよ。
 
阿川 死の生物学者で終わらないために何から手をつけようと思っていらっしゃるんですか。
 
福岡 生命の探究をしているのに実験のためにネズミを殺すのはおかしいから、それをやめようと。私はきっと畳の上では死ねないですよ。ものすごい数のネズミを殺してますから。本当に痛々しい。
 
阿川 私、2匹殺したことあるわ。うちにネズミが出たときにネズミ獲りで。ゴメンネって思ってる。
 
福岡 そのぐらい大したことない。私たちは積極的に飽くことなく殺しているんです。しかも、自分で殺すだけでなく学生にも命じてやらせてる。それをやめようと思っているんです。実験を通した科学研究では私は大発見はできなかったけれども小発見は幾つかしました。
 幾つかの遺伝子を見つけて、「Nature」に論文も掲載されました。だから、もういいんじゃないかなと。これからは死を詮索しすぎたのをちょっと回復する、つなぎ直す仕事をしなきゃいけないんじゃないかなって思っているんです。

阿川 つなぎ直す仕事の道筋は立っているんですか。
 
福岡 ネズミを殺すのはやめて、私は生命に何を見つけようとしてきたのかを語っていくことに限られた時間とエネルギーをかけるべきなんじゃないかなと思うんです。だから、書くことですね。それに専念したい。今、私は「分子生物学者」と名乗っているけど、「分子」はもう取る。スタビンズ君が「僕は博物学者になりたい」って言ったような普通の生物学者になる。つまりミクロを研究するのではなく、等身大の生物学者。

阿川 普通の生物学者になるってことは、つまり、あらためて生物学を研究し直すってことですか。
 
福岡 そんな大げさなことじゃなくて、科学って実は芸術家が絵を描くのと同じような非常に個人的な営みなんですよ。だから、私は私のしまい方として今までとちょっと違う絵を描き始めようと思っているんです。分子生物学にしてもただの生物学にしても、自分は果たしてこれから進んでいくべき方向にそぐう存在たりうるのか、という問題なんです。なかなかカッコいいでしょう。
 
阿川 カッコいいけど、今度はどんな絵を描くんですか。
 
福岡 個体発生の過程を振り返ると、その変化の過程は必然なのでどうしようもないんだけれども、文化的な意味で個人が子どもたちから大人になるためのプロセスを考えると、私はやっぱりドリトル先生に憧れたスタビンズ君みたいなところに戻って、生物学を考えないといけないと思うんです。
 私を含めてわれわれ人間は、今までいろいろなものを細かく分けすぎたんですね。結局、人間は遺伝子の端から端まで知り尽くしたのに、一体生物の何がわかったのかと。細かく分けた部品はわかったけれど、全体は分かっていない。そこをつないでいく作業が必要なんです。
 結局、生物学者としての私の問いは、「生命とは何か」を言い表す言葉を探すということに尽きると思うのです。ただし、これは科学者だけの問いではなく、みんなの問いであるわけですが。生命をモノとしてみれば部品の集合体にすぎませんが、生命を現象としてとらえるとそれは動的な平衡となる。
 死の前後で部品に増減はない。では一体、何が変わるのか。動的平衡がこと切れる、ということなのですが、私はそこをもっと深く問いつづけたいと思っているのです。

阿川 なるほど・・・。たしかに医学にしても、細分化された専門家はたくさんいるから、細かいところはすごく進歩していて、がんをみつけたり治療することはできていますよね。でも、私がこれから欲しいのは全体医だもん。
 
福岡 病院に行くと臓器ごとに科が分かれていて、全体医がいないですよね。このままいったら、右の耳と左の耳で科が分かれているかもしれない(笑)。だけどおそらく、それは18世紀、19世紀、20世紀、21世紀のある種の文化の流れとしてそうなっているにすぎないんです。
 だから、そうした状況は、よく考え直して全体をつなぎ合わせてみなければいけないという問題提起でもあるんですよ。ただこれは一歩間違うとオカルトになっちゃうんです。過去にも、部分を全体に統合しなきゃいけないと言った人はいっぱいいるんです。
 ハンガリー出身の哲学者、アーサー・ケストラーが「ホロン」、チリの生物学者2人が「オートポイエーシス(自己創出)」という概念を打ち出したりね。でも、全体を語る言葉はうっかりするとすぐに宇宙は全部つながっていますとか、大きな物語になっちゃう。
 そうすると、結局、科学者は最後は宗教的になって終わりましたという世界に入ってしまうんですよ。しかし、それは違うんです。だから、そういう罠にはまらないようにする言葉の解像度を保ちながらも、何かつなぎ合わせることをしないといけない。
 
阿川 つなぎ合わせるために何が必要だと思われますか。
 
福岡 う~ん、それはなかなか一言では言えません。ここ数年、人生のしまい方を考えていて、そういうことも必要なんじゃないかなと色々準備をしてきたんですよ。それとドリトル先生について考えたことをあらためて照らし合わせてみると、「ああ、そういうことなんだな」って自分で納得できた。ちょっと物語めいているし、作りすぎているかもしれないけど。

福岡伸一(ふくおか しんいち)
1959年東京生まれ。1982年、京都大学農学部食品工学科卒業、 1987年、京都大学大学院農学研究科食品工学専攻博士後期課程修了、1988年、ロックフェラー大学ポストドクトラル・フェロー、ハーバード大学医学部フェロー、京都大学助教授などを経て青山学院大学教授。生物学者。「生物と無生物のあいだ」でサントリー学芸賞を受賞したほか、「動的平衡」など著作多数。
 
阿川佐和子(あがわ さわこ)
1953年東京生まれ。1976年、慶應義塾大学文学部西洋史学科卒業。報道番組のキャスターを務めたのちに渡米。帰国後、エッセイスト、小説家として活躍。「ああ言えばこう食う」(檀ふみとの共著)で講談社エッセイ賞、「ウメ子」で坪田譲治文学賞、「婚約のあとで」で島清恋愛文学賞など。