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インタビュー

あらゆる世界が混在する乱反射のパッケージ

今月はインタビューをお休みし、特別編として「WORLD VIEW」を掲載いたします。

 棋聖の羽生善治氏が、第30期竜王戦7番勝負第5局で竜王の渡辺明氏を下し、「永世7冠」の偉業を達成とのニュースにわいた。通算7期目の竜王獲得となり、「永世竜王」の条件(連続5期または通算7期)を満たしたものである。他の6冠の「永世」称号はすでにもち、将棋界史上初の永世7冠となったのである。
 あの変わらない飄々とした姿勢に浮かべた本当に嬉しそうな笑顔をみると、誰でも無為に「おめでとう!」と画面の向こうに声を掛けたくなろう。その羽生氏の「7冠達成(25歳)はデビューから10年、今回は30年が過ぎ、その積み重ねのなかでたどり着けた」(主旨)としてコメントしていた。
 そして「将棋そのものを本質的にまだ分かっていない」との言葉に、求道の羽生氏らしさがうかがえる。ある本で知った、登山家でもあった、生態学者の今西錦司氏が「なぜ山に登るのか?」との質問に答えた言葉が彷彿とされる。それは「山に登ったら、また向こうに高い山があった。だから次々と山に登ります」というものである。
 不思議なことに今回選んでいた本は、「羽生善治 闘う頭脳」(文芸春秋の文春ムック)である。これが生命のリズムというものであろうか。主には(将棋とは)異なる分野の専門家(池谷裕二、小川洋子、為末大、朝吹真理子、山折哲雄、沢木耕太郎)との対談で構成されている。
 そのなかから、小説家の朝吹真理子さんとの対談の一部を紹介する。羽生氏自身にも著書があり、そのためか対談の相手は小説家が多い。ただ、小川さんや沢木さんではなく、朝吹さんとの対談を選んだのは確たる理由があってではない。「何となく」である。
 それもわずかな一部に止まるのもので、是非とも興味のある方は読んでみてほしい。朝吹さんのことはよく知らないのだが、羽生さんとの対談から何か共感できる、また心地よい(不思議な)感覚の人のように思われる。いや自然な感覚といった方がよいのかもしれない。
 
* * *
 
朝吹 将棋がとてもおもしろいことにあらためて気づいたのはずっとあとのことです。大学生のころ、羽生さんと柳瀬尚紀さんとの対談集「大局する言葉 羽生+ジョイス」(河出文庫)と、吉増剛造さんとの対談集「盤上の海、詩の宇宙」(河出書房新社)を読んだのがきっかけでした。
 将棋のおもしろさを言葉で知りました。将棋は数字に似ていて、人間の理と違う理で成立している気がします。むかしから数学を使う化学や物理学などの科学は好きだったのですが、それらは数学を使うけれど、あくまでも人間の理を探るためのものです。
 将棋は人間同士がやっている行為なのに、人間が打っている脈拍とは全然違う、別の理でできている、という感覚が強くなりました。羽生さんが書かれていましたけれど、マス目が九×九の将棋には中心が生まれます。それが「おへそ」のような肝心要のひとマスにみえてきます。八×八のチェスにはありませんね。
 
羽生 将棋がなぜ九×九なのかは今でも謎なんですよね。
 
朝吹 将棋はマス目の数と持ち駒の規則によって、一手から広がる可能性の数は巨大です。チェスの消尽していく美に惹かれていましたが、規則のおもしろさに気がついてから、恐ろしいものを人間の手はつくり出してしまった、という思いでみつめています。
 人間同士で指しいているのに人間が入っていく、という異常な事態が起きます。そのことに魅かれて対局をみるようになりました。そうすると棋士の方々がまた魅力的で・・・。
 加藤一二三九段が昼用の鰻重と夜用の鰻重の代金かっきりを背広の両ポケットに分けていれて対局に臨むなど(笑)、そういう人間的な娑婆のおもしろさ、手を読む数字のおもしろさ、そして、無時間の世界に有限の時間軸が差し込まれて、ふしぎな現象が盤上に起こります。
 対局を観戦していると、盤上に生起している瞬間そのものが純粋な芸術だという感覚でいっぱいになります。対局には、あらゆる世界が混在していると思います。将棋そのものは乱反射していて、いかようにも見ることができるし、いつまでも全部を見尽くせません。
 
羽生 言語への興味から将棋に興味をもたれたとのことですが、朝吹さんは辞書を読むのもお好きだそうですね。
 
朝吹 自分が生きてきたなかで知った言葉によってしか小説を書くことはできません。人間ひとりひとりに言葉の海があるとしたら、その海が豊穣であればあるほど、紙に付着させられる言葉の可能性は増えます。自分は言葉を知らないという気持ちが強いのでよく辞書を引きます。
 でも、辞書は正解が載っているわけではないので、辞書を引くところから、「考えることが始まる」という気持ちになります。
 
羽生 もしかすると、朝吹さんにとって、読むことと書くことにはあまり大きな差はないのですか。
 
朝吹 そうかもしれません。読むときより書くときの方が、「読む」ことを意識していると思います。書くことは、書いたものを自分でまず読むことなので、読むことは、「書く」ことの半分くらいを占めているのだと思います。そこに、小説を書くまで気づいていませんでした。
 
羽生 書いた作品の最初の読者は自分ですよね。でも、社会に発表され、多数の読者が読むと、どういう反応が返ってくるか予想できません。自分の書いた作品が見知らぬ多くの読者に読まれるというのはどんな感じですか。
 
朝吹 書いているときは、書いている手と書いている言葉とが密着している状態です。でも、書き終えると、「書きつつあるもの」は「書かれたもの」になっていて、もう書き手は介在できない、という気持ちに変化しています。小説から「書く手(私)」が離れて、作品と読み手のあなたの関係になる。
 たしかに私が書きました、という責任をもって、著名をしていますが、作品との距離はとても遠くなっているような気がします。
 
羽生 朝吹さんがお使いになる投瓶通信のたとえで言えば、本になるということは、書き手の手を離れ、海の向こうの方に瓶を投げてしまっているわけですね。
 
朝吹 そうです。読み手の「あなた」からの応答によって自分の書いたものが何であったか知る、という感覚です。
 
羽生 文学賞の選考委員なり読者なりが作品について書かれた論評で、自分はそのように書いたつもりではないのに、といった意外な反応はありましたか。
 
朝吹 作品のことを一番考えたのは書き手かもしれないけれど、作品のことを一番理解しているのは書き手ではない、と思うので、毎回、言葉が不意に飛び込んでくるように思います。
 
羽生 最近は何でも反応がリアルタイムで返ってくる時代ですが、小説の場合、発表して読者に届くのは、ときに数年後かもしれません。結構時差があって、書いた人もその時差と一緒に経験を積んでいきます。よく考えてみると、それは不思議な感じですよね。
 
朝吹 ほんとうにそうですね。いつ届くかはまったく分からないです。人間は瞬間によってどんどん変わってゆくので、フィットしていたものが一秒後にはまったくフィットしなく思えたりもします。読み手の目によって作品は瞬間瞬間変わっていきます。
 それは、羽生さんが対局されたご自分の棋譜を何年かたってご覧になるのと近い関係があるのではないでしょうか。
 
羽生 そういう感覚は確かにありますね。いつも過去の対局を振り返りませんが、ただ、そのときの感覚を取り戻すために棋譜をみるということはあります。たとえば三年前なら三年前、こういうのが流行っていて、こういう状況だったというのを棋譜を通して思い出せる、ということはありますね。

朝吹真理子(あさぶきまりこ)
1984年12月19日、東京生まれ。小説家。慶應義塾大学大学院文学研究科国文学専攻修士課程修了。「流跡」で、小説家としてデビュー、2010年に第20回「Bunkamura」ドゥマゴ文学賞を受賞。2011年には「きことわ」で、第144回「芥川龍之介賞」受賞する。
 
羽生善治(はぶよしはる)
1970年9月27日、所沢市生まれ。プロ将棋棋士。小学生名人を経て、1982年に二上達也九段門下で奨励会6級。1985年に史上3人目の中学生棋士としてデビューし、1989年に19歳で初のタイトル竜王を獲得。名人戦は1994年に初めて獲得し、2008年に通算5期で十九世名人の資格を得る。1996年に王将を獲得し、史上初の7冠制覇を達成(名人・竜王・棋聖・王位・王座・棋王・王将)。1996年に内閣総理大臣顕彰を受ける。