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インタビュー

偶然の積み重ねから生まれるおもしろさ

今月はインタビューをお休みし、特別編として「WORLD VIEW」を掲載いたします。

 2018年が始まってわずか2ヶ月ほど、ニュースで知るだけでも著名人の訃報はけして少なくない。ざっと頭に浮かぶ人だけでも星野仙一さん(享年72歳)をはじめ、野中広務さん(94歳)、有賀さつきさん(54歳)、佐々木正さん(104歳)、石牟礼道子さん(92歳)、大杉漣さん(68歳)、左とん平さん(82歳)などが挙げられる。
 まして身内や知人、身近な人の死去に接した人はどれくらいいるだろうか。まずはお悔やみとご冥福を心から祈りたい。病気や事故などでふいに命を落とす人もいるが、有名無名を問わず、どんな人もいつか死ぬものである。
 もちろん例外もあるが、年齢(享年)だけみれば訃報が増えるのは高齢社会の性であろう。「まず臨終のことを習うて、後に他事を習うべし」ともいわれるが、避けられない自らの死と向き合う、また他人の死に接し(臨終のことを)習うこともあろう。
 先日、自らの死をみすえながら終幕を生きている、ある方が話のなかで「『死』に暗いイメージはなく、むしろ明るいものです」と語られていた。そうしたイメージがもてるのは、今日までの生き方によろう。ゆえに臨終の思いで、今日を生きることが大切なのである。
 かねて経済成長の停滞した市場を、「成熟」と呼ぶことに違和感があった。だが、もし表層的な経済成長ではなく、内省による人としての成長と充実が求められる社会、市場であれば「成熟」と呼ぶにふさわしい。
 今回は解剖学者の養老孟司氏と生物学者の福岡伸一氏の対談「せいめいのはなし」(新潮社)の一部を紹介する。「バカの壁」の著者として知られる養老氏の近著に「半分生きて、半分死んでいる」「遺言」がある。まるで臨終を楽しむかのようなタイトルの著書である。そこに養老氏のおもしろさがあるようだ。
 
* * *
 
養老 人の顔というものがいかにわれわれの脳にインプットされているか、ということです。前にも書いたことがあるんだけど、顔の凹面を撮った写真(デスマスクの型)があると、実は凹面なのに必ず凸面に見えるんです。
 
福岡 凹面には絶対見えない。確かにそうですね。車をみても人の顔に見えるし、電車だってそうです。修学旅行で見た華厳の滝の後ろには、色んな亡霊が写真に写っていたりする。顔のイメージというのは、人間がパターン化した最たるものです。
 
養老 赤ちゃんが注目するのも顔ですね。逆にカッコウはおもしろい。自分の子どもじゃないどころか、人間が見たらどう考えても種類が違うだろうというのに、巣のホストはカッコウの雛に餌を与える。カッコウの進化ってめちゃくちゃ不思議ですよ。
 世界中に色んな種類のカッコウがいますけど、すべて巣のホストと同じ色模様の殻の卵を産むんです。同じカッコウでも、ブチやらブルーやら色んな卵がある。それは単なるイメージじゃない。卵の殻は卵管を通るときにできるから、殻をつくる環境に支配されているんです。
 
養老 ある種の生物が表現するとっぴすぎるデザインやあまりにも似すぎた擬態を見ていると、ダーウィニズムのいう自然選択の結果だとは考えられないほど環境に対して自由に変容が起こっているように見えます。
 つまり、突然変異とその自然淘汰に基づくダーウィニズム自体は進化の大原則としてよいのですが、ちゃんとダーウィニズムが考えてこなかった生物の自由さの問題があると思うのです。おそらく遺伝子の基本姿勢は何かを厳密に定めているというよりも、むしろ自由度や過剰性を担保している。
 脳や免疫系がとくにそうですが、その原則はすべての構築にいえる。素材を提出し、あとはそれがどのように彫琢されるか、刈り取られるかは環境、さらには偶然にゆだねられる。
カッコウの卵も遺伝子が担保しているのは色んな模様になりうる自由度で、それがどのような模様になるかは卵が形成されるプロセスに依存しているのではないでしょうか。そう考えた方が筋が通ることが多いと思うんです。
 
養老 さすがのアメリカでも遺伝率には意味がないという本が出たくらいですもんね。遺伝性がどれくらいあるかなんてよくいいますけど、環境を変えたらまったく無関係になってしまいます。たとえば、大岡昇平が餓鬼みたいに食べる兵隊のことを書いているんです。
 いってみれば、食べもののこととなるとがつがつしてどうしようもないと悪く書いている。でも、ぼくはその兵隊には寄生虫が居たに違いないと思っているんです。医者ならすぐにそう思いついたはずです。でも、大岡さんはそれを人格の問題として書いている。
 
福岡 食い意地の張ったどうしょうもない人という書き方ですね。
 
養老 文科系の人はそう見てしまうということを書いたことがあります。医学的なことは、ほかの分野の人ではなかなか気づかない場合が多い。あたかも人格や性格のように書いてしまう前に、多少は医学の常識をもっておいた方がいいんじゃないかと感じます。
 個性とか性格とかその人に固定したものがあるという考え方は、もちろんあってもいいんですけど、個性なんてどんなものかわかったものじゃないし、環境次第で変わるものです。チェーホフは「風邪を引いても世界観は変わる。ゆえに世界観とは風邪の症状だ」と書いています。
 
福岡 人格や性格のような人間の本質のようにいわれていることも寄生虫ひとつでいかようにでも変わると考える方が、人生、ぼちぼち行こうという気になりますね。その方が希望がある。
 
養老 逆にとらえる人が多いですよ。フィリピン戦線の末期に戦友を殺して食べる事件を書いている人が、あれは実話で、あれこそ人間の本性だという。でも、実話かどうかはさておき、ぼくはそうじゃないと思う。そういう極端な飢餓状態においたら仲間を殺して食べることもありうるのが人間です。
 確かにそれを本性というのかもしれないけれど、それは極端な状況にあるからであって、極端な状況で出てくる性質を本性というのはおかしいと思う。寄生虫がいるのと同じことです。寄生虫がいる状態が本性だというのはおかしいでしょう。
 少し前に読んだ「昭和の逆説」(井上寿一著、新潮新書)という本で、思想があってあの戦争に陥ったのではなく、同時多発的な偶然が重なった上での結果だということをいっている。
 
福岡 大事故の背景には細かい要因がたくさん存在しています。それがドミノ倒しのように連鎖して大事故になったというような因果律的思考は、実は動的平衡の考え方の対極にあります。平衡が次にどのような平衡状態に遷移するかは本当に偶然にすぎない。
 しかし物事が起こるのはどこかにもっと本質的な構造があってある種の必然がある、こう考えがちなのは人間の認識の幻想なんじゃないでしょうか。
 
養老 ストーリーじゃなくて、結局、偶然の積み重ねなんですよ。ただし、悪い偶然がいくつも重なった。それと同じような結論を出したのは数年前に西村肇さんと岡本達明さんが書かれた「水俣病の科学」(日本評論社)。アセトアルデヒドを水銀触媒でつくっていた工場が、世界におそらく何千もあったろうけど、あれだけの大惨事を起こしたのは日本のチッソだけだった。
 それはどうしてかということを、化学者が追求するんです。それによると、五つの独立した過程があって、その全部が悪い方に転がって、あの事件が起きた。そういう確率は非常に小さくて、普通ならどこかで止まったはず。飛行機事故なんか、まさにそうです。
 悪いことが重なった上で大事故が起こる。でも四つも、五つも重なるというのは珍しい。だから大事件なんです、逆に。

養老孟司(ようろうたけし)
1937年、鎌倉市生まれ。東京大学医学部卒業後、解剖学教室に入る。1995年、東京大学医学部教授を退官し、2017年11月現在東京大学名誉教授。1989年「からだの見方」でサントリー学芸賞を受賞。「形を読む」「解剖学教室へようこそ」「日本人の身体観」「唯脳論」「人間科学」「バカの壁」「養老訓」など著書多数。