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インタビュー

女性原理を主とした経済生活の幸福価値

今月はインタビューをお休みし、特別編として「WORLD VIEW」を掲載いたします。

 漫画化されたことだけではなかろう。吉野源三郎氏の「君たちはどう生きるか」があらためて注目を集めている。学生時代に心に止めた詩の一節が蘇る。それは「もはや/物の時代から心の時代/心の時代から生命の時代に/刻々と移り変わっている」というものだ。
 1981年の詩であり、われわれはだいぶ時間を掛けてようやく実感し始めたのではないか。それも「物」でも「心」でもない、「生命の時代」ということである。いいかえれば「生命の時代」とは、生活のなかで「物」と「心」を上手に生かしつつ統御するといった幸福実感を追求することである。
 今回は肩書きのむずかしい2人の佐藤優氏と高橋巌氏の対談「なぜ私たちは生きているのか-シュタイナー人智学とキリスト教神学の対話」(平凡社)の一部を紹介する。「経済」といい「資本主義」といっても所詮は人がつくり出したものであり、そこには人の思想や思考が反映されている。
 「心」と「物」、「神」と「富」、「主」と「客」といった二者択一の思考ではなく、われわれは二者を生かし統御する「主客未分」といった新しい思考をもって、経済生活を見直すべきときを迎えている。
 
* * *
 
佐藤 資本主義はイギリスから生まれました。イギリスの気候が寒冷化して、小麦や野菜より、毛織のセーターをつくった方が儲かるようになったことがきっかけです。そこで、農民のように土地に縛り付けられているわけでもなく、かつ自活のための道具や材料をもたない人たちを工場に集中させ、生産をおこわなせたのです。
 資本家は彼らの労働力を商品化として購入することで、生産過程を商品化しました。こういうふうに労働力が商品化されたことにより、もらった賃金で自分の欲望を満たす商品を買うシステムができ、それが発展して今に至っているのです。
 マルクスは資本主義時代だけを分析できると考えており、近代経済学はあらゆる時代を分析できると考えています。私はマルクス経済学の立場にあります。というのも、人間活動のほとんどを経済が占めているような状況は資本主義時代だけだからです。
 これ以外の時代について、商品経済をもって説明することはむずかしい。整理しますと、資本主義は、労働力の商品化が成り立たないと成立しないし、近代以降のきわめて限定された時代の現象だということです。
 
高橋 「労働力の商品化」とおっしゃいましたが、今は人間そのものが商品化されているような時代です。私たちは誰かを評価するときに、収入がどれくらいあるかということを基準の一つにしてしまうぐらいに資本主義の精神は徹底していて、社会の土台が経済生活にあることを当然のように思っています。
 シュタイナーの言葉に「経済は物質生活の基盤をつくってくれる。しかし、人間の本性は経済的な営みを超えている」というのがあります。社会的にどれぐらい有能かという測り方をしてしまいます。結婚する相手を選ぶ際にも、経歴や肩書きから将来どれぐらい可能性がある人なのかを測ってしまう。
 本来、誰かを愛するということは、そういう経歴や肩書きを超えているはずですから、経済生活よりも大事なものがあることはみんな分かっているのに、つい経済力中心に人を測ってしまうのです。その原因は資本主義にある男性原理なのではないかと、私は最近考えています。
社会には男性的なものと女性的なものの両方があり、資本主義の根っこにも男性的な競争の原理があります。どうすれば得になるかで人間関係を見てしまう感覚、利害打算を原則にし、勝ち組・負け組ができるのは仕方ないというような発想を、あらためて男性原理と呼びたいと思っています。
 
佐藤 対になる概念は女性原理ですね。こういったところが、高橋さんならではの表現だと思います。私なりに解釈させていただきますと、高橋さんがおっしゃる男性原理・女性原理と資本主義は一見つながらないようでいて、実は根っこのところでつながっていると思います。
 われわれは、資本主義化してすべてが商品化した商品経済から、当面抜け出すことができません。商品経済には、価値と使用価値があり、このバランスがどのようにとれているかが重要です。たとえば、水のPETボトルが一本110円で売られているとしましょう。
 その場合、110円というのが価値で、ちゃんとキャップを開けて飲むことができることが使用価値になります。仮にキャップが開けられない、あるいは水が漏れるようならば商品としての価値はありません。
 けれど、マルクスが「他人のための使用価値」といっているように、商品を売る人にとって使用価値は重要ではないので、価値だけを追求するようになると、バレなければどんなものを売ってもかまわないというようなことも起きてしまいます。
 食品偽装事件がたびたび起きるのも、こういう形で資本が回っていることの表れでしょう。これは、高橋さんがいう、資本主義の男性原理だと思います。しかし、資本には別の回り方もあります。たとえばフードバンク、企業や個人から寄付された食品を、食べるものに困っている人たちのいる施設や家庭に届けてくれるのです。
 送料は送り手側が負担します。企業は割れてしまったおせんべいや、パッケージにシールが曲がって貼られてしまった食品といった品質に問題がないけれども商品として流通できないものを送るのです。
 私も個人的には協力していますが、食品を送ると必ずフードバンクから「有効に使わせてもらいます」というお礼の電話をいただきます。スタッフは無償のボランティアが多いし、施設に行く交通費も自己負担になるので、経済効率といった点からは測れない行動をしています。
同じ廃棄食品でも、廃棄カツの転売のように商品化してしまう方向もあれば、商品経済からはじき出されてしまうところを補填する方向もあります。その大もとにあるのは広い意味での「人間の経済学」で、高橋さんのいう女性原理という話にも関わってくると思います。
 
高橋 自分のためと人のため、どんな人間にもこの両方がなければ、人間としておかしいですよね。そのバランスをどうとるかが問題です。私は社会への適応力を男性原理、関係性を重視する力を女性原理という整理をしています。私の考える、資本主義経済における究極の女性原理はベーシック・インカムです。
 無条件ですべての人に一定の生活費を給付するという制度です。とくに資本主義の男性原理的な考え方がよく表われているのが、ドイツの社会学者、経済学者であったマックス・ウェーバーの「プロテスタントの倫理と資本の精神」です。キリスト教と資本主義の話をすると必ず出てくる本です。
 キリスト教と資本主義の関係は、根本的なことをいえば、「マタイ福音書」にある「神と富」の話です。「だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない」
 「富」と訳されている語は、イエスが使ったといわれているアラム語では「マモン」です。一種のお金の神さまで、人間をコントロールするお金は全能で永遠の神のようなふりをしているが、神の反対だということを、イエスはいっています。
 基本的にキリスト教は、利害関係と関わらないところに本来の宗教のありようを考えているはずです。それをウェーバーは、神かマモンかという二者択一ではなくて、ひたすら経済原理に従って仕事を進めていくこと自体が神に仕えることに通じる、それがプロテスタントの精神だと考えました。
 ところが結果として、神に仕えるはずのプロテスタンティズムの倫理がいつの間にかマモンに仕えることにつながり、先ほど佐藤さんがいわれているように、現代では労働という人間の尊い営みですら、「労働力」という商品になってしまいました。

佐藤 優(さとうまさる)
1960年、東京生れ。1985年に同志社大学大学院神学研究科修了の後、外務省入省。在英日本国大使館、ロシア連邦日本国大使館などを経て、1995年から外務本省国際情報局分析第一課に勤務。2002年5月に背任と偽計業務妨害容疑で逮捕。2005年2月に執行猶予付き有罪判決を受けた。「国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて」で毎日出版文化賞特別賞を受賞する。主な著書に「自壊する帝国「獄中記」「国家の謀略」「インテリジェンス人間論」「交渉術」などがある。
 
高橋 巌(たかはしいわお)
1928年、東京生まれ。1951年に慶應義塾大学文学部史学科を卒業後、1956年に同大学博士課程満期退学。1957年にドイツへ渡り、エジプト並びにギリシアを歴訪。ミュンヘンでロマン派美学を学ぶ過程でルドルフ・シュタイナーの弟子に会う。1970年代からシュタイナーの人智学紹介のために著作・翻訳・講演活動を始める。1985年に日本人智学協会を創立。日本でのルドルフ・シュタイナー研究の第一人者である。