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インタビュー

暮らしのなかで食とともに生きているのがパッケージ

今月はインタビューをお休みし、特別編として「WORLD VIEW」を掲載いたします。

 かつて原爆の脅威を世界に訴える展示会の開会式でのエピソードを聞いたことがある。そこは子ども博物館が隣接しており、ちょうど主催者あいさつのときに子どもたちのにぎやかな声が館内に響きわたっていたようだ。
 その子どもたちの声を聞いて、主催者は「にぎやかな活気に満ちた、この声、その姿こそ、『平和』そのものです。ここにこそ原爆を抑える力があります。希望があります」とあいさつを始めたというものであった。「当意即妙」のあいさつといえるものだが、それは素直な実感ではなかったかとも思う。
 われわれは、原爆による被害の大きさや悲惨さには心を揺さぶられるが、巨大な破壊力をもつ、どうしてもそれは隔絶した存在であり技術であって手の届かないところの化け物と思いがちである。だが、その化け物を生み出したのはわれわれひとり一人の心であるということだ。
 ゆえに、それを抑える力をもつだけではなく、「平和」を生み出すのもわれわれひとり一人の心であり、館内に響きわたる子どもたちの声を聞いて、それを象徴しているのが「その声」「その姿」だと気づかされたのではないだろうか。今回は料理研究家の土井善晴氏の著書「一汁一菜でよいという提案」(グラフィック社)の一部を紹介する。
 そのなかでもマザーテレサ女史の言葉を通して「良き食事をする」ことの大切さを訴えられている。それは生活のなかでつくり上げられる心身の安穏である。料理研究家というと料理本かと思われようが、「食べる」ことに表れた日本人の生き方を考えた随筆である。
 
* * *
 
 人間の「生活」とは、生きるための活動ですから、そこには外での仕事も含まれます。家のなかの務めは「暮らし」のことです。むかしは、外の仕事も家の仕事もあまり区別なく、同じように向き合い、つながっていたように思いますが、今では外の仕事の方が重要視されるようになって、暮らしが疎かになっている。
 でも、幸せは家のなか、暮らしのなかにあるものと思います。淡々と暮らす。暮らしとは、毎日同じことのくり返しです。毎日同じくり返しだからこそ、気づくことがたくさんあるのです。その気づきはまた喜びともなり得ます。
 食べることで私たちの体質はつくられる「体質即食物」だと、医師の秋月辰一郎先生はいいました。人が健康でいられるためには「環境」が重要ですが、その環境というのは太陽・空気・水と色々考えられるなかでも、食べ物がそれを代表しているというのです。
 食べ物によって体調を崩すことがあり、食習慣によって病気にかかりやすくなります。反対に、食べることで私たちは健康でいられるし、病気にかかりにくい体質になるのです。食べるものでは、私たちは体質を改善できます。人の細胞は絶えず生まれ変わり、数ヶ月もすればほぼ別の肉体になるといわれます。
 そのために継続して安定的に良い食事をする必要があるのです。料理することについてもう少し話しましょう。伝統的な技術で命を支える味噌のようなものがありますが、今の加工食品のすべてが健全に命を育んでくれるものばかりでないことは、誰にでも分かることでしょう。
 加工食品に限らないことですが、科学的にとらえると、完全に安全で安心だといえる食品はないといわれます。しかし、自分で調理することで、浄化されるのです。便利な加工食品を利用しても、自分で料理すれば、ある程度、自分と家族を守ることができます。
 食に対して責任をもつことができます。そもそも食文化というのは、その土地の風土のなかで安心してものを食べる合理的な方法で成り立っています。最近はよく、「機能的」なことや「合理的」という言葉にすり替えていわれますが、時間を短縮する、便利で都合のよい「機能」と、理にかなった「合理」では意味が違います。
 機能性は、多くの場合に素材本来がもつおいしさと健康価値を犠牲にします。お料理を自分でつくるのであれば、どんな食料、どんな調味料を使うかを自分で決められます。どんな食材を使おうかと考えることは、すでに台所の外に飛び出して、社会や大自然を思っていることにつながります。
 その食料をどこで誰から求めるか、どこの産地のものなのか、どこの海で穫れたものかを知れば、食材を通して多くの人や自然とかかわっていることが分かるでしょう。目で見て手で触れて料理することで、人間はその根本にあるものと直接つながることができるのです。
 頭では分からないことも、手が触れるという行為を通じて、感じているのです。身体で感じていることを頭が邪魔することがありますが、しかし頭では無意味と思っているようなことでも、その一つ一つが貴重な経験になっています。
 ムダな経験は何一つありません。他の命あるものに直に触れることで、数学者・岡潔のいう「情緒」を人間はもつことができるのではないかと考えています。それは想像力、感受性、直観という人生を豊かにするもの、科学的には説明のつきにくい心の働きを身につけるということです。
 いや、身体の働きの自覚というべきかもしれません。親が料理したものを子どもが食べる経験。家族が料理したものを、みんなで一緒に食べる経験。一人で料理して自分で食べる経験。料理という行為と食べるという行為の関係は、料理する人間がもつすべての経験と、無限大につながる大自然の秩序を食べる人に伝え、つなげることだと信じるのです。
 私たちは生きている限り「食べる」ことから逃れられません。離れることなく常にかかわる「食べる」は、どう生きるのかという姿勢に直結し、人生の土台や背景となり、人の姿を明らかにします。「食べることは生きること」と言われるのはそのためで、間違いなく「良く食べることは良く生きること」なのです。
 今、私たちの周りには食べ物があふれるようにあって、選ばなければ食べることに困ることはありません。面倒なときは食べなくてもいいし、食品の良し悪しを気に留めなくても生きられます。何も考えなければ別に問題はないし、人に迷惑をかけることもありません。
 だから、好きなものばかり食べることは、大自然のルールでは少し怒られるかもしれませんが、人間のつくったルールのなかでは何も悪いこととはいえません。でも、たぶん、食べるということは、とても大切なことだと思います。いや、おそらく、誰もがすでにその身体で分かっていることだと思います。
 でも、インパクトの強い日常の雑事に追われて地球環境のことや子どもたちの未来といった大切なことをつい忘れて置き去りにするのと同じように、小事を気にして大切な問題は後回しにするのです。地球環境のような世界の大問題をいくら心配したところで、それを解決する能力は一人の人間にはありません。
 一人では何もできないと諦めて、目先の楽しみに気を紛らわすことで、誤魔化してしまいます。一人の人間とはそういう生き物なのでしょう。しかし、大きな問題に対して、私たちができることは何かというと「良き食事をする」ことです。
 聖者・マザーテレサは、「世界平和のために何ができますか」という質問に、「まず、家に帰って家族を愛しなさい」と答えられたそうです。どうぞ、自らの命を大切にしてください。何かやろうとすれば、たいていのことは賛同者や協力者が必要になるものです。
 でもこの「一汁一菜でよいという提案」のよいところは、仲間を募ってみんなでやろうとしなくても一人でできることです。実は食事することのその先に、楽しいことがたくさんあるのです。二百万年も大自然の一つとして生きてきた人間の営みに疑いはありません。どうぞ、私たちの過去の経験と無限の知恵を信じてください。

土井善晴(どいよしはる)
1957年、大阪生まれ。家庭料理の第一人者の土井勝の次男。スイス、フランスでフランス料理を学び、帰国後に大阪「味吉兆」で日本料理を修業。土井勝料理学校講師を経て1992年に「おいしいもの研究所」を設立する。日本の料理研究家、フードプロデューサー。早稲田大学文化構想学部非常勤講師・早稲田大学感性領域総合研究所招聘研究員・立命館大学客員研究員。元芦屋女子短期大学講師。元早稲田大学非常勤講師、学習院女子大学講師。