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インタビュー

ミシミシミシミシ遍満した生命の声を聞くパッケージ

今月はインタビューをお休みし、特別編として「WORLD VIEW」を掲載いたします。

 客観的に「超高齢社会」と呼ぶか、もしくは主観的に「シニア時代」と呼ぶかの違いはあっても、それがパッケージに限らず、未来を考える上で欠くことのできないキーワードであることに異論をもつ人はなかろう。そこで「シニア時代とは?」との率直な問いにあなたは、どんな答えをもつだろうか。
 本誌は「死と向き合わざるをえない時代」と答えたい。事実、それは誰人にも避けがたい現実であるとともに、シニア時代の進行につれて年々、身近な人や親しい人を亡くすことで、誰もが身に強く感じ始めていることではないだろうか。
 2018年2月に、詩人であり作家の石牟礼道子さんの逝去が報じられた。「苦海浄土―わが水俣病」の作家として知る人は多いのではなかろうか。水俣病を告発し近代社会の矛盾を問い、晩年はパーキンソン病と闘い90歳で幕を閉じた。
 今回は、その石牟礼道子さんと同じく女性詩人の伊藤比呂美さんとの対談「死を想う」(平凡社新書)から、その一部を紹介したい。詩人であり、また女性という特性からか、対談で飛び交う言葉はどこか宇宙的な感がある。皆さんはどう感じられるだろうか。
 それも楽しみだが、仏典に描かれた、虚空での儀式で仏と仏が両座して「うなづき合い給う」というシーンが好きである。「ただ仏と仏といまし能く諸法の実相を究尽し給えり」と、その理解にはほど遠く、単に二仏の描写に心が惹かれるのである。
 不思議なことに「死を想う」の副題には「われらも終には仏なり」と付されている。言葉を超えた世界をいかに感じられるか。そこに未来を開き、新たな価値創造の知恵とエネルギーがあるように思えてならない。
 
* * *
 
石牟礼 生命って草木も含めて、あなたがよくおっしゃるけど、風土に満ち満ちている生命、カニの子どものようなのから、微生物のようなものから、潮が引いていくと遠浅の海岸に立てば、もうそういう小さな者たちの声が、ミシミシミシミシ遍満している気配がするでしょう。そういう生命ですよね。
 
伊藤 それに対して感じる気持ちは、畏れ?
 
石牟礼 畏れというか、融和しているというか、自分もその小さな生命のなかの一つで...。宮沢賢治にありますね、「このからだそらのみぢんにちらばれ」(詩「春と修羅」)というのが。それと「宇宙の微塵となりて無方の空にちらばろう」(「農民芸術概論綱要」)というのもありましたし。
 
伊藤 あの人は日蓮宗だけども、究極的には同じ宗教ですね、石牟礼さんと(笑)。
 
石牟礼 ねえ。そらのみじん、宇宙の微塵、私は宇宙というよりも「浜辺の微塵」...。
 
伊藤 じゃ、宇宙の微塵にとって、死ってなんですか、「死ぬ」ということは?
 
石牟礼 まあ微塵になって、あれは「蘇る」という言葉はありますか、あの詩には。「ちらばれ」だから。
 
伊藤 あの詩はたしか散らばりっぱなし...。
 
石牟礼 散らばるというよりか、私はどっかの葦の葉っぱなんかに、ちょっと腰掛けていたような気がする(笑)。
 
伊藤 それが死? 散らばって腰掛けている状態ですか。
 
石牟礼 あの人たちはお浄土というのがあったと思うんです。父はしょっちゅうお経を上げていましたからね。自分が善人とは思ってなかったに違いない。父は何か、この世での修行が足りないと思っていた。でも、けして末香臭い人ではありませんでした。
父はとんでもない音痴でね(笑)。それでね、しょっちゅう宴会をしてましたから、土木請負業で若い男の子たちを家に呼んで。食事には酒がついていますし、宴会が始まって皆、とんでもない音痴ということは知っているから、一番最後に歌わせるんですよ。
 「亀太郎様、亀太郎様、ほら真打ち、真打ち」とかなんか言って、本当の真打ちはおじいさんの松太郎の方で、これは美声でね、「江差追分」をあんなに上手に歌う人、聞いたことがない、のど自慢でも。さびさびとしたいい声でね、祖父は。
 亀太郎の方も、元の節はいったいどこにあったかと思うくらい、もう調子っぱずれの歌を、とろけるような顔をして歌うんですよ。一節毎に皆違う。若い者たちがお腹を押さえて、お膳をひっくり返して歓んでいました。ちっとも恥ずかしがらないでね。とろけるような顔をして、素っ頓狂な節で。あれ、世界音痴大会に出したら、グランプリですよ(笑)。
 
伊藤 それ、ご本人はご存知でした? 自分が音痴だと。
 
石牟礼 それは私、聞いておけばよかったけど。自分には、どんなふうに聞こえていたのかしらね。あんな人を喜ばせて、自分も嬉しくて、あのとき父は非常に幸福だったんでしょうね。
 
伊藤 それでも歌はお好きだったんでしょう?
 
石牟礼 聞いているのも好きだったんでしょうね。「自分も歌おうばい」と思って、待っていましたからね。それはもう、歌い聞かせたくてですよ。あのくらい音痴だと、もう世のなか、聞いた人たちは幸福になります。
 
伊藤 石牟礼さんはお歌いになりますか? どんな曲を。
 
石牟礼 たまに歌います。「懐かしのメロディ」のようなもの。
 
伊藤 どんな歌が石牟礼さんにとって「懐かしのメロディ」ですか。「月がとっても青いから」とか?
 
石牟礼 いやいや「浜辺の歌」とか「椰子の実」とか。
 
伊藤 それは、小学唱歌みたいな...。
 
石牟礼 女学生の唱歌。
 
伊藤 ああ、なんで、そういうものに惹かれるのか分かる気がする。
 
石牟礼 そんなのしか知らなかった。
 
伊藤 なんか、あれって願いがこもっていませんか? どれもこれも、無常観です。日本人って四季が好きじゃないですか。なんで好きなのかって考えた。きっと無常だからですよ、移ろうんです。だから、「そらのみぢんにちらばれ」というのも、感じは一緒なんです。そう思いません?
 
石牟礼 思いますね。
 
伊藤 「浜辺の歌」で「あした浜辺をさまよえば...」とある、その浜辺は「ゆうべ」にはもはや同じものではけしてない...。私はよく「故郷」を歌います。
 
石牟礼 私、「故郷」を歌うと、もう、すぐ泣いちゃう。
 
伊藤 私も。あれは泣けます。私、曲も詞も同じ人(作詞・高野辰之、作曲・岡野貞一)がつくった、「菜の花畑に入り日薄れ」(「朧月夜」)ってあるでしょう、あの二番が好きなんですよ。「蛙のなくねも、かねのおとも...」、あれ、全部「も」なんですよ、あそこが好き。
 
石牟礼 好きですね。
 
伊藤 小学唱歌いいですねぇ。
 
石牟礼 いいですねぇ。だから父はね、あんなに人を幸福にして、自分も幸福で、だから地獄に行かなかったんだろうと思いますよ。
 
伊藤 じゃあ「浄土」はあると思います? 死んだ人はどこに行くと思います?
 
石牟礼 それはね、私も思いますけど、あるんじゃないかという気がする。
 
伊藤 そうですね、石牟礼さんは意識がなくなってしまったら、もうそれでお終い、とは思いませんよね、きっと。
 
石牟礼 そう思わないこともないけれど、皆の願いがあるから。あれほど皆、先祖代々、「お浄土へ行かせてください」ってね、後生を願うとかね。
 
伊藤 「後生を願う」という言葉は、とても好きです。
 
石牟礼 のちの世。現世では行くところがなくなったでしょうし。現世では、どっちみち苦しい。誰でも苦しい。だからせめて、後生を願いに行くって。願いに行くんですからね。願いという言葉は、本当にあれですね。

石牟礼道子(いしむれ みちこ)
1927年、熊本に生まれる。1943年に水俣実務学校卒業し、代用教員として田浦小学校勤務。1958年に谷川雁主宰の「サークル村」に参加、1965年に「海と空のあいだに」を「熊本風土記」に連載開始、1969年に「苦海浄土」(「海と空のあいだに」改題)を刊行する。1970年に「苦海浄土」が第1回大宅壮一賞決定するが受賞辞退。1993年に「十六夜橋」で紫式部賞を受賞、2002年に朝日賞受賞、2003年に「はにかみの国」で芸術選奨文部科学大臣賞受賞など。2018年2月に逝去。
 
伊藤比呂美(いとう ひろみ)
1955年、東京に生まれる。青山院大学卒業後、詩集「青梅」「テリトリー論」で注目。出産、育児エッセイ「良いおっぱい悪いおっぱい」(集英社文庫)などがベストセラー。現在はカリフォルニア州在住。2008年に熊本文学隊を旗揚げ、2011年10月1日から熊本学園大学招聘教授。2018年4月1日から早稲田大学文学学術院(文化構想学部)教授。著書に「万事OK」や野間文芸新人賞を受賞した「ラニーニャ」(新潮社)などがある。