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インタビュー

自他の生活へより善い眼差しを向けたパッケージ

今月はインタビューをお休みし、特別編として「WORLD VIEW」を掲載いたします。

 "トランプ米大統領"の是非はともかく、ナショナリズム的な動きが世界を席巻しつつある。2019年に入り注視される米中貿易摩擦、また米国のINF条約破棄の正式通告に対するロシアの離脱表明、タイムリミットが迫るなかで混迷の英EU離脱など、政治・経済・軍事と世界に暗雲が立ちこめている。
 そうしたなかでも、ドイツのメルケル首相が英国のEU離脱を巡る交渉の打開策として(アイルランド国境問題の懸念に対処できる)「創造力をともなう」妥協が必要との考えを示したことは希望である。「創造力」といっても、けして突飛なところにあるものではない。
 「皆が善意を示せば、残りの時間を合意に向けて使うことはできる」「問題を解決するには創造力を発揮し、互いの意見を聴く必要がある」とメルケル女史はいう。希望はほかに探すものではなく、常に自らの心の内にあるものである。「われわれの抱える問題は、人によってつくられたものゆえに人によって解決できる」とは、かのケネディ35代米国大統領の言葉である。
 そこで今回は、フォルカー・レージング氏の編集によるドイツ初の女性首相となったアンゲラ・メルケル氏のスピーチ集「わたしの信仰----キリスト者として行動する(Daran glaube ich: Christliche Standpunkte)」(新教出版社、松永美穂訳)から、ジークブルクのカトリック社会研究所の開設記念(2017年5月4日)スピーチの一部を紹介したい。
 
* * *
 
 私の考えでは、良い意味での討論や論争は、社会のさらなる発展に寄与するものですし、もっと評価されるべきだと思います。私たちには対話が必要です
 ----信仰が違う人々、意見が異なる人々との対話です。グローバリゼーションの時代、社会が多様化する時代にあって、それは非常に重要です----ウェルキ枢機卿が「教会の遠征試合」と呼んでおられる通りです。
 連邦政府としても、こうした教育の問題に手をこまねいているわけではありません。どうすれば生涯学習をごく自然なものとして提供していけるのか----これほど近い将来、政治的にも大きな役割を演じるでしょうが----私たちはそのために、まだ多くのことをしなければならないと自覚しています。
 労働の価値です。パンを得るためだけではなく、自己理解、自己実現としての労働です。そう考えるとき、私たちはもちろん、労働の重要性を常に中心に据えてきたカトリックの社会説教に行き当たります。ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世の回勅「労働を通して」(1981年に発表)から引用したいと思います。
 「労働は人間にとっての----人間であることの----財産である。なぜなら人間は労働によって自然の姿を変え、自分たちの欲求に適応させるだけではなく、人間として自己を実現し、ある意味で『より多くの人間となる』のだから」。これは、労働の定義としてすばらしいと思います。
 デジタル化によって、まったく新しい問題が生じてきました。時間的な自律性というテーマが、デジタル化との関連であらためて大きな問題となるでしょう。労働以外の人間の共生に関しては、人間同士の配慮について、もう一度議論する必要があります。
 私たちは人間から、デジタル化を通してどれくらいの柔軟性を要求できるのでしょうか。どの程度、人間の自由裁量を制限するべきなのでしょうか。そのために私たちは、ベネディクト会士たちがすでに知っていたことを思い出さなければいけません。
 人間的な生活を送るために、祈りと労働----ora et labora----の正しい割合が再び論議されるべきです。こうしたことすべてはもちろん、私たちをくり返し、社会全体の共生のためにけして手放すことのできないものへと導きます。それは民主主義の価値です。
 私たちはみな、政治的には日々創り出すことのできない、いずれにしても法律をつくることによっては創り出すことのできない前提によって生きています。だからこそ、ある種の社会的な基礎解釈が世代から世代へ自動的に受け継がれていくと考えるのは間違いだと思います。
 それは常に努力して獲得されるべきものです。法治国家であること、信仰の自由、意見の自由、職業の自由は高い価値を持つ財産ですが、守りつづけねばならない財産でもあります。いつでも自由を享受していた人が、自由をこれほど意識するのかどうか、私たちには分かりません。
 「自由がなくなったらどうなるのか見せてやろうじゃないか」などということは不可能です。私たちはむしろ、そんなことをしなくても世代から世代へと自由が受け継がれていくような道を見つけなければいけません。
 これは、かなりむずかしい課題だと思っています。そこで、一つの原則を思い出すことが重要になります。それは、カトリックの社会教説と大いに関係のある原則、すなわち補完性原理ですが、残念ながらそれがすぐに人々の身につくような言葉に移し替えることはできませんでした。
 「補完性原理」と口にするのは簡単ですが、実は決定的な意味を持つ事柄だと思います。もし私が人々に責任を持たせたい、責任を引き受けることを喜んでほしいと願うなら、彼らに責任を引き受けられるような余地も与えるべきです。
 もし私が強権的に振る舞ったり、あるいは----ある程度はそれが望みでもあるのですが、この責任を取り去ってほしいと思うこともあるのです----すべてを手放し、全部自分のせいにしてすまうならば、しまいには何も残らないような状態に陥ります。
 そうなったら、みんなが責任を引き受けるべきだと話すことさえできません。私は政治的なキャリアのなかで、何が政治の課題なのかという問いについて、賛否両論に満ちた議論を頻繁に交わしてきました。
 政治活動を始めたばかりのころ、ある家族の子どもたちにとって誰が理想像であるべきなのかという質問をされたことを覚えています。その質問に答える責任があるとは思えない、と私は説明しました。それに対してはかなり賛否の入り交じった反応がありました。
私はそれに付け加えて、政治家としてきちんとした仕事をするよう大変努力をしてはいるけど、どんな生活を送るべきか、人生の指針についてなどの特定の質問には、政治だけでは回答できない、と述べました。たくさんの国際的チャレンジについては、今日ここではお話ししませんでした。
 でも、この教育施設にインド出身の修道士の方々がいるのを嬉しく思います。なぜならこの方々はきっと、ドイツ人ではもてない視点をもたらしてくださるからです。ですからここで、みなさんにお願いしてもよろしいでしょうか。
 もし私たちがあまりに自己中心的で、いつも自分のことばかりにかまけているとお考えなら、ぜひここで他の人々と交流してください。人々が他の場所でどのような生活をしているかに関心を向けるならば、自分の生活へのよりよい眼差し、そして喜びも得ることができるのです。
 「人間の尊厳は不可侵である」という言葉は、ラインラントやドイツ連邦共和国だけで古くから目標とされたわけではなく、この言葉の奥深さを理解した全ての人が、世界中の人に当てはまる言葉として解釈したと推測します。もちろんそれによって彼らは大きな使命を担うことにもなったわけですが。
 そういうわけで、研究所にお願いしたいのは、私たちの共生において重要となる問いのほかに、外の世界にも常に目を向けてくださることです。グローバリゼーションによって、私たちは他国の人の生活に対する感覚も養わなければならないからです。

アンゲラ・ドロテア・メルケル
1954年7月生まれ。1973年にカールマルクス・ライプツィヒ大学(現ライプツィヒ大学)に入学し物理学専攻。学士号を取得し東ベルリンの科学アカデミーに就職し理論物理学を研究。1986年に博士論文を提出して博士号を取得。物理学者として分析化学に配置転換。1989年のベルリンの壁崩壊後、科学アカデミーを辞職し「民主主義の出発」の結党メンバーとなる。2000~2018年までキリスト教民主同盟 (CDU) 党首を務め、2005年に第8代ドイツ連邦共和国首相を務める。ドイツ史上初の女性首相。