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インタビュー

短い一生と生身のつき合いから表われてくるパッケージ

今月はインタビューをお休みし、特別編として「WORLD VIEW」を掲載いたします。

 新聞に載っていた、新元号が「令和」と決定したことに寄せての日本文学研究者のロバート・キャンベル氏のコメントが非常に興味深いものであった。それは、典拠となった序文は詩文集「文選」の後漢の張衡(ちょうこう)の「帰田賦(きでんのふ)」を踏まえてものではないかとのことである。
 深い教養を身につけ、心許し合う友たちとときの花鳥風月を愛でて詩心を交わす後漢の時代の人への憧れ、思いを重ねて催した詩会であろうというものだ。ただ憧れは、今に残された言葉や詩歌、史跡などから想像されるものでしかない。
 最も大切なのは、それを体感している「今」であり、カタチに残せないものがあることを忘れてはなるまい。よく「寝食をともにする」というが、それは言葉などには表せないコミュニケーションが、ともに過ごす時間と空間のなかに潜在していることを示している。 
 今回は、著名な評論家の小林秀雄氏と数学者の岡潔氏との対談「人間の建設」(新潮文庫)から一部を紹介する。小林氏は自らの個人的な体験を通じて非常にユニークな考えを語っている。小林氏は、たとえば松尾芭蕉が残した句もいいが、その人とともに過ごしていたら、「どんなにおもしろいか」といっている。
 それは想像するほかなく、ともに生きられなかったことは残念に思う。それに対して岡氏は、ここでは心地よい相槌ほどに止めている。だが、ほかのテーマでは小林氏と岡氏の丁々発止もあり、まだ読まれていない人には一読をお勧めしたい。
 
* * *
 
小林)つまらないことをこの間考えていたのですが、私の知っている骨董屋が死んだのです。私は瀬戸物が好きでして、三十年くらいつき合っていたのですが、その息子がこの間来まして、親父の一周忌に句集を出したいというのです。
 彼は俳句を詠んでいたのですね。こっちはそんなことを知らなかった。こそこそやっていたわけですね。じつは親父さんの日記が出てきて、その日記を読んだら、私が行って二人で酒を飲んだとき、おれの句集を出すから序文を書けといったら、よし、書いてやる、といったと書いてあるんだそうです。
 書いてやるといった証拠が日記にあるという。だから書いてくれと息子がいうのです。そんなことはこっちは知らないし、少しも覚えていないのです。息子がそういうものだから、それじゃ句集を見るからもっておいでといった。持ってきたノートブックには鉛筆でたくさん書いていてあるわけです。
 それをこの間、私はずっと読んでいたのです。素人の俳句ですから、それは駄句でしょうがない。俳句でもなんでもありゃしません。するとね、「小林秀雄を訪ねる」とかなんとか、そういう詞書きがついて、俳句を詠んでいるのです。
 彼は李朝のいい徳利を持っていまして、僕は酒飲みですからいい徳利がほしいのですが、それだけはいくら売れといっても売らないのです。骨董屋ですから、みんな売物のはずだが、それだけは離さない。それで二十八年間です。二十八年間、私に見せびらかしやがって、そいつも酒飲みですからね。
 どうだどうだといって、そして売らないのですよ。私は欲しくて欲しくて、ついに二十八年目にぶんどっちゃたのです。どうしても売らないから、僕は酔っぱらって徳利をポケットに入れまして、持って帰ってしまった。
 そして、お前が危篤になって電報をよこしたら返しにいく、それまではおれが飲んでいるからなといって、持ってきちゃったのです。それで僕は今も飲んでいるわけですが、奴は電報を出す暇もなく死んじゃったのです。その俳句をずっと読んでいたら、「小林秀雄に」という詞書きが出てきましてね。
 「毒舌を逆らはずきく老の春」という句を詠んでいるのです。考えてみたら、それは私が徳利を持って帰った日なのです。そして、その次に「友来る嬉しからずや春の杯」とかいうのがあるのです。その日なんです。「毒舌を逆らはずきく」ということは、つまり僕が徳利を持って行ったということなんですわ。
 僕は、まさか徳利をぶんどったときに俳句を詠んでいるとは知らないでしょう。息子が持ってきて、俳句をひねっていることが分かったわけです。それから私は俳句というものを少し考えちゃった。芭蕉とかなんとかいったって、おもしろいということになると、この方が駄句だけれど、私にはおもしろいのですよ。
 
岡)内容だってありますね。
 
小林)しかし、それは私でなければ分からないのです。それが、またおかしな俳句が沢山あるんです。そいつは、とても食いしん坊で酒飲みで道楽者で、死んじゃったのですが、こういう俳句はどうです。「あれはああいふおもむきのもの海鼠かな」、ナマコが好きな奴なんですよ。
 ナマコで酒飲むでしょう。そのナマコの味なんていうものはお前たちには分かりゃしないという俳句なんですね。そういう句はですよ、僕がその男を知っているからとてもおもしろいのです。こんなものを句集で誰かが見たって、おもしろくもない。
 都々逸だか俳句だか分かりゃしない。「二日月河豚くらはんと急ぐなり」。柳橋かなんかで芸者を上げるんでしょうが、「来る妓(おんな)皆河豚に似てたのもしく」なんていう句もありました。そこで、私はこのごろこういうことを考えているのですが、結局そういう俳句がおもしろいというのはおれだけだ。
 その人間を知っていますからね。実物を知っていて読んだということでおもしろいものが俳句だね。そうすると、芭蕉という人をもし知っていたら、どんなにおもしろいかと思うのだ。あの弟子たちはさぞよく分かったでしょうな。
 今は芭蕉の俳句だけ残っているので、これが名句だとか何だとかみんないっていますがね。しかし名句というものは、そこのところに芭蕉がつき合った人だけに分かっている何か微妙なものがあるのじゃないかと私は思うのです。
 
岡)なるほど。そうですね。
 
小林)つまり生きている短い一生と生身のつき合いのことですね。観賞とか批評とかが、どうも宙ぶらりんなものにみえてくる。そういう世界のことなんですがね。どうも妙な話になってしまいましたが、たとえば岡さんにお話するでしょう、そうすれば通ずるということがある。
 
岡)分かります。いやいやおもしろいですな。
 
小林)分かりましょう。それなら、これは私だけの勝手な思いつきではないことになる。こんな妙な話が。もっとも、そんなことばかり考えていたら批評の商売になりませんから、考えません。考えないけれど、頭のどこかにこの考えがじっと座っている。そこから、何か普遍的な美学がつくれないものですかね。
 
岡)つくれたらいいですね。
 
小林)絵でもそうなんですよ。私はゴッホのことを書いたことがありますが、ゴッホを書いた動機というものは、複製なんですよ。その複製をみて、感動して書いたのです。その後、ゴッホの生誕百年祭でアムステルダムに行きまして、その原画を見たんです。
 ところが感動しないのですね。複製の方がいいですわ。色がたいへん違うんですが、その原画は、あんまり生々しい。それが複製されると、ぼんやりとしていて落ち着いてくるんです。複製の方が作品としてできがいいのですよ。このごろ真贋問題とかで世のなかが騒ぎますが、てんで見当が違うことだと思いますね。
 それは贋物と本物は違うという問題はありますよ。しかし人間の眼だって、そんなによくできたものではありませんよ。絵をみるコンディションというものがありますよ。千載一遇の好機に、頭痛でもしていたら、それっきりです。

小林秀雄(こばやしひでお)
1902年4月、東京生れ。東京帝大仏文科卒。1929年に「様々なる意匠」が雑誌「改造」の懸賞評論二席入選。以後、「アシルと亀の子」はじめ独創的な批評活動に入り、「私小説論」「ドストエフスキイの生活」などを刊行する。1967年に文化勲章受章し、「本居宣長」(1977年刊)で日本文学大賞受賞。1983年3月に逝去。
 
岡 潔(おかきよし)
1901年4月、大阪生れ。1925年に京都帝大卒業と同時に講師に就任。以降、広島文理科大と北大、奈良女子大で教鞭をとる。多変数解析函数論で世界中の数学者が挫折した「3つの大問題」を1人ですべて解決。1960年に文化勲章を受章。エッセイに「春宵十話」「日本のこころ」「風蘭」「情緒の教育」など。1978年3月に逝去。