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インタビュー

心に刻まれた経験の分だけ能力も創造の幅も広がる

今月はインタビューをお休みし、特別編として「WORLD VIEW」を掲載いたします。

 誰にも、若き日に心に刻まれた言葉があるのではないだろうか。また誰かの強い思いによって刻み残された言葉というものもあろう。幸いにも小学校高学年のころ、教室の正面に模造紙に記された言葉が高々と掲げられ、毎朝皆で唱和させられていた。
 ドイツの詩人ゲーテの「人間は気高くあれ、情け深くあれ優しくあれ、そのことだけがわれらの知っている一切のものと人間とを区別する」との詩は今でも暗唱でき、事あるごとに思い出す。また大学で道に迷い、本を読み始めたきっかけは、中学の教科書で読んだ夏目漱石の小説「こころ」である。
 同じく、小学生高学年のころの道徳の教科書であったかと思う。「目標は小刻みに」と題した、マラソンを完走する内容は今でもよく覚えている。なぜならば、当時は自身も運動が苦手であったからだ。あるときの下校時に、ふっと「自宅まで走って帰ろう!」と思い立ったのだ。
 たぶん約1~2kmほどの道のりであったと思うが、最初からそうそう走れるものではなく、「あの電柱まで」「あの電柱まで」と目標を定めて何とか走り通す感じだった。それを毎日繰り返す内に、走ることが楽しくなってきた。とくに敵わなかった同級生に徒競走などで勝つようになった。
 それが、段々と「やればできるのだ!」との自信につながり、スポーツが好きになり、練習などで工夫をするようになってくるのだから不思議である。1人のあらゆる能力は身の内に秘められているもので、全ての能力は一身でつながっている。
 それは、どこから始めてもよければ、いつ始まるかもしれないものである。だから、大切なときに身にしっかりと留め置くことであり、また留まっているものであるに違いない。今回は、その社会教育家の下村湖人氏の著書「青年の思索のために」(PHP)から「実践目標は小刻みに」を紹介する。
 
* * *
 
 それでは自分の夢の責任を自分で負うのには、何が必要でありましょうか。それは数え挙げると限りがありません。健康、知識、判断力、実践力、持久力というようなことから、愛情とか、宗教心とかいうようなことに至るまで、およそ人間の徳目という徳目のすべてがその中に含まれるでありましょう。
 今は、しかし、そういうことについて一々述べるつもりはありません。私は、ここでは私自身の貧しい体験の一つだけを述べ、それに簡単な感想をつけ加えて読者のご参考に供したいと思います。
 その体験というのはこうです。まだ私が二十代のころのことでした。元来、私は運動競技などにはほとんど縁のない人間ですが、あとにも先にもたった一度、団体マラソン競走というのに加わったことがありました。
 団体マラソン競走というのは、いくつかの団体でマラソンの競走をやるのですが、その採点法は参加者全員のなかでの第一着を10点とし、以下時間を30秒とか1分とかに切って、9点、8点という具合に点数を減らしていき、ある時間以上たつと、あとは0点ということにして、各団体毎に団員の点数の総計を出し、それで順位を決めるという仕組みになっていました。
 走路は約1万m、ある学校の校庭を出て校庭に帰って来るのでしたが、その大部分が平坦な国道で途中にいくつかの橋があり、そこが幾分坂になっていました。私には、むろん優秀な点を取る自信はありませんでした。
 それどころか、私の脚力を知っている一友人に、「どうせ君は0点に決まっている。はじめからゆっくり歩いていく方が利巧だよ」などと冷やかされて、「本当にそうかも知れない」と思ったぐらいだったのです。
 しかし、また一方ではそうした冷かしに反発する気持もありました。それが私に一つの野心を起させました。野心といっても真にちっぽけな野心でしたが、それはこうでした。
「断じて3点以上を取って見せる。そのためには、どんなに苦しくても最後まで走りつづけよう。これまでの例で見ると、忠実に最後まで走りつづけた人で3点以下だった人はないのだ」
 これは、そのときの私としては、決して大き過ぎる野心でもなく、また小さすぎる野心でもないと考えたものでした。さて、こうしていよいよスタートを切りましたが、最初の2,000mほどは、私はほとんど最後尾に近いところを走っていました。次の2,000mでは、かなりの人数を追い抜きました。
 そして、更に次の2,000mでは、大体全員のなかほどぐらいを走っているように思いました。ところで、そのころになると、私も次第に疲れて来て、息は迫るし、足は重くなるし、小さな石ころにもつまずいて転びそうな気がするのです。
 「まだやっと半分じゃないか、今からこんなことでどうなるんだ」。そう自分で自分を励ましてみても、どうにもなりません。それに、何よりも私の気を苛立たせたのは、これまでに私が追い抜いて来た人たちが、二人、三人と今度はあべこべに私を追い抜いて行くことでした。
 自分では同じ速度で走っているつもりでも、これでは余程鈍っているのだなと思うと、あと4,000m余りの走路が不安になり、やっぱりダメかなという気がしてきました。そして橋のたもとに近づいて少し上り坂になったりすると、ついそこでヘタバッテしまいたくなったことも何度かあったのです。
 それでも、どうなりがんばりつづけて、あと2,000mぐらいの地点に来ました。しかし、もうそのころになると腰から下の感覚が、まるで固まりかけた蝋のように鈍り、頭までがもうろうとなって来ました。そして、そのもうろうとなった頭のなかで、私は私自身にこんなふうに媚びていました。
 「マラソンぐらいで意地をはって、それに何の意味があるんだ。身体でも壊したら、バカを見るだけじゃないか」と。
 しかし、すぐよしてしまうのはやはり惜しいような気がして、意志の力でというよりは、むしろ惰性で走りつづけていました。そのうちにふと眼に映ったのは一本の大きな立木でした。それは300mほど先の道端に立っていたのです。私はすぐ思いました。
 「あの立木までなら大丈夫がんばれる。あれまでがんばってみて、どうしてもいけなかったら、それでよすことにしよう」。走ってみると、どうなり走れました。すると欲が出て、更にその次の目標を見つける気になりました。今度の目標は電柱でした。
 これにも成功しました。そのあと電柱から電柱へと、次々に目標を映し、やはり次々に成功しました。むろん肉体の疲れが、それによって少しでも減じたわけではありません。疲れは、一歩一歩と増していくのが自分にもはっきり感じられたのです。
 しかし目標を小刻みにしたために、少なくとも前途の不安からは救われていました。前途の遠いのに気を腐らして、絶望感に陥ることだけは、それで免れたわけなのです。こうして、とうとうゴールに入りました。点数は4点、自分で願っていた以上の成績でした。
 以上が私のまずしい体験ですが、これは私のその後の生活にとって決して無意味なことではありませんでした。私は、何か少し大きい困難な、そして永い時間を要すると思われるような仕事に取り掛かるごとに、よくこの体験を思い起しました。
 とりわけ、私には詰まらぬながらも、生涯をかけて成し遂げたいと思っているある仕事があり、それがこの歳になってまだ六分通りしかでき上がっていませんので、その仕事と取り組んで前途の遠いのを思うとき、いつも私の頭に浮かんでくるのが、この体験なのです。
 この体験がわれわれに教えることは、いうまでもなく目標を小刻みにすることです。目標を小刻みにするということは、決して遠い目標から眼を逸らすことではありません。遠い目標に眼を注げばこそ、小刻みの目標を見出す必要があるのです。

下村湖人(しもむら こじん)
1884年10月、佐賀神埼市千代田町崎村出身、本名は下村虎六郎、旧姓は内田。東京帝国大学英文科を卒業し、母校佐賀中学校教師や鹿島中学校校長等を歴任。教職辞任後は、同郷で高校・大学同窓の田澤義鋪に従い、講演や文筆活動で社会教育に尽力。青少年に影響を与えた「次郎物語」の著者で、小説家、社会教育家である。1955年4月に逝去。