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インタビュー

悟性を研ぎ澄ませた耳寄りなパッケージ

今月はインタビューをお休みし、特別編として「WORLD VIEW」を掲載いたします。

 フランスの作家サン・テグジュペリの有名な小説「星の王子さま」に記された、「ものごとはね、心でみなくてはよく見えない。一番大切なことは、目にみえない」との言葉を思い出している。まさに世界が新型コロナウイルス「COVID-19」の感染の拡大を止めるべく様々な対策を講じ始めた。
 極めて冷静に現状を客観すれば、目にみえないナノサイズの小さなウイルスの生命活動の活性化に怯えて、恐れおののき無為に踊らされているようにみえる。当然、低い確率とはいえども、重症化や死に至った人に身を寄せてみれば恐れも分からなくはない。
 だが、江戸の俳人・横井也有が俳文集「鶉衣(うずらごろも)」に残す「化物の正体みたり枯れ尾花」との言葉のように、「COVID-19」と命名したウイルスの実像を知れば、果して恐れるほどのものかどうか。またウイルスとともに生存してきた長い人類史を顧みれば、新型とはいえ対処法も分かりそうなものであろう。
 サン・テグジュペリがいうように、「一番大切なことは、心の目でみなくてはよくみえない」ものである。幸いにも特効薬がないためにか、日常的な手洗いとウガイの励行が奨励されている。手洗いとウガイが最大の感染防止となるウイルスを恐れることはなかろう。
 恐れなければならないのは「COVID-19」ではない、化物を映し出し恐れおののく自らの心の闇である。今回は国文学者の中西進氏と歴史学者の磯田道史氏との対談「災害と生きる日本人」(潮新書)から、その一部を紹介する。対談のなかに出てくる「悟性」とは、まさに「心でみる」ということであろう。
 
* * *
 
中西) 交通事故の現場で一人が亡くなったのだとすれば、その瞬間、一人の人間が突然潰えてしまったことを意味します。その死を抽象的な数字だけで理解して片付けようとする感覚が警察の当り前になるのは、実に恐ろしいことです。
 
磯田) まさに知の退化であり、近代がやってきた一番ダメなことです。
 
中西) 警察庁は交通事故の年間死者数をできる限り減らそうと目標を立てたとき、一時期自殺者の数と比較しているのをみて、深い衝撃を受けました。両方にどういう共通性があるのでしょう。自殺者の数と交通事故の死者数を一緒くたに考えて、年間何人まで減らそうと目標を立てる。こういう雑な思考をしているようでは、深刻な禍根を生むことになるでしょう。
 
磯田) 西洋で数量化革命が生まれ、人間はすべての事柄を数と量で抽象化するようになりました。巨大なピラミッドをつくり、月に人類を到達させ、ほかの幾多の生物を絶滅させるに足る大量破壊兵器までつくってしまった。飛行機から見ても人工衛星から見ても、地球上で最も盛大に繁茂している生き物は人間です。
 
中西) キリスト教の宣教師ハビアンがいった「アニマ」の概念の四分類はたいへんに西洋的な切り取り方です。キリスト教は、神が自分の姿に似せて人間の体をつくったと考えました。その神の神たるゆえんは何でしょう。知性です。哲学の思考実験を行ったり、数学を研究したり、芸術を創造する。
 これらを司るのは知性です。哲学にしても数学にしても芸術にしても、人間はそれぞれの分野を追究しながら、神の領域に一歩でも近づこうと努力してきました。知性をもっているか、もっていないかという物差しであらゆる生物を分類し、知性の優劣によって神からの距離を測る。
 でも、こういう思考の鋳型では、いつまで経っても神の領域には近づかないでしょう。ラテン語でいう「アニマ」(anima=魂、霊魂)は、知性というよりも「ratio」(理)です。
 
磯田) 知性が優れているから偉いのではなく、根っこのところにある理性の方がもっと重要だということですか。「知」は知覚するだけですが、「理」には推量というややこしい作業が必要です。
 
中西) 「理」は「ことわり」ですからね。知覚したことをいったん頭のなかに放り込んで、文字通り「割る」わけですよ。「分類」とは理性によってなされます。知性が「分類」や「判断」をできるわけではありません。頭のなかに放り込んだ情報を図式化し、交通整理をする作業は容易ではないのです。
 ただ知性も理性も、宗教からはどんどん離れていきました。私は宗教とは「知性」でも「理性」でもなく、「悟性」だと思うのです。「知る」でも「ことわる」でもなく「悟る」。
 
磯田) 「知性」と「理性」と「悟性」を分けて考えねばならぬ、というお考えですか。中西先生、この視点はすばらしいですよ。
 
中西) 動物によっては一種の「悟性」「宗教性」を垣間見ることがあります。最近、星野道夫さんの写真を見て驚きました。クマが鮭を襲おうと身構えて、川から鮭がパーンと跳ね上がったところを襲う瞬間の写真があります。クマと鮭は目と目を見つめ合っている。すごい瞬間を切り取ったものです。
 
磯田) いまのお話になぞらえていうと、宮沢賢治は「悟性の文学者」といってもいいかともしれませんね。「なめとこ山の熊」という作品でしたか。クマ撃ちの男(食べる側)とクマ(食べられる側)の間の葛藤を、見事に文学化しました。
 
中西) 賢治が現代人にもウケる理由は、そういうところを描いた点にあるのですね。
 
磯田) 自分の子どもとおしゃべりしながら、理性がどこまで生まれつき備わっているものか実験してみたことがあります。ウチの娘も、僕と似て理屈っぽいのです。長女が四歳になったころでしたか。「ねぇ、数っていくらでもあるの?」といい出したのです。僕は割り箸の一本を折って、「これで一本が二本になったよね」示しました。
 
中西) それをもう一回折ると、二本が四本に増えます。もう一回折ると八本に増え、さらにがんばって小さく折ると十六本になりますね。
 
磯田) 「これを一万、十万・・・と砂ほどの数に割っていったらどうなると思う。数で考えてみて」といったら、娘はしばらく考えてから「その欠片はなくなるんじゃない?」というのです。また「欠片はそのうち小さくなりすぎてなくなってしまうけど、数はいくらでもあるかもしれない」といいます。
 これは論理的には間違っていません。目の前から物体がなくならなければ数は有限である。物体がなくなってしまえば、数は無限であるといえます。程度の差、早さ遅さはあれ、人間は先見的に理性の本体をもっています。娘と割り箸の話をしながら、僕はそのことを確信しました。
 
中西) 万葉集に「雲の上に鳴きつる雁の寒きなへ萩の下葉は黄変(もみち)ぬるかも」(巻8-1575)という興味深い一首があるのです。
 
磯田) それは興味深い。空を飛ぶ渡り鳥の雁が鳴く声を地上の萩が聞いて、葉っぱが紅葉として色づくというわけですか。
 
中西) ええ。「葉鶏頭(はげいとう)」という花は、雁が飛んでくる八月あたりから葉っぱの色が変わります。俳句の言葉で、この「葉鶏頭」のことを「雁来紅(がんらいこう)」と呼ぶのです。
 
磯田) 雁がやって来ると、とたんに葉っぱが紅色に色づく。
 
中西) 萩をはじめとする木々の色が秋になると変わる。これは植物が勝手に赤くなったのではなく、雁が赤くしたのだと擬人化するのです。しかし万葉人に「擬人化」の考えはありませんので、萩が雁の声を聞いて「ああ、今年も雁が来たな。そろそろ紅葉にしよう」と萩が赤くなる。
 松尾芭蕉は「鶏頭や/雁の来るとき/なお赤し」と詠みました。万葉の歌人にしても芭蕉にしても、植物が聴覚をもっていたと考えていたのかもしれません。だって空飛ぶ雁の声を聴いて、季節の移り変わりを知覚しているのですからね。実に「耳寄り」な話でしょ。

磯田道史(いそだ みちふみ)
 1970年、岡山市生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程修了。国際日本文化研究センター准教授。「武士の家計簿」「天災から日本史を読みなおす」「日本史の内幕」など著書多数。歴史家。
 
中西 進(なかにし すすむ)
 1929年、東京生まれ。 東京大学大学院修了。成城大学教授、米プリンストン大学客員教授、筑波大学教授、国際日本文化研究センター教授、トロント大学客員教授。 姫路文学館館長、大阪女子大学学長、帝塚山学院理事長・学院長、京都市立芸術大学学長、池坊短期大学学長、奈良県立万葉文化館館長を歴任。全国大学国語国文学会会長、日本ペンクラブ副会長。文学博士。文化功労者。文化勲章受章。