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インタビュー

マーケットではなく生活人を診るのが名包装人

今月はインタビューをお休みし、特別編として「WORLD VIEW」を掲載いたします。

 引退後の松井秀喜氏がインタビューに答えて、ニューヨーク・ヤンキースの選手時代に経験した左手首骨折の大ケガから復帰に向けた思いを回想し、「人間として成長して必ず打席に戻る」(主旨)と語っていたことが非常に印象的であった。
 どんなケガも時間をかければ治癒するもので、ただそれまでは安静にして待つよりほかはない。だがプロであればなおさら、無理をして練習し一刻も早く戦列に戻りたいと焦るものではなかろうか。それでは、かえって治癒を遅らせるだけでなく精神の安定も失いかねない。
 プロとしての松井氏の心境は推し量れないが、医師の助言や自らの治癒力、これまで積み上げてきた経験や技量を信じ、ケガと真摯に向き合う時間を大切にしようと考えたのではなかろうか。つまり技術や能力は治癒後でも追いつけると考えて、まずはケガと向き合い人間としての成長を期したのであろう。
 そこにはプロとして(復帰後)さらに飛躍するためには、人間としての成長が欠かせないとの信条があるよう思えてならない。それはプロ野球だけに止まらず、プロとアマを超えてあらゆる分野と立場で必要な信条ではないだろうか。
 不思議なことだが、人は様々な危機に直面しはじめて自分自身と真摯に向き合えるものなのかもしれない。ようやく国内でも緊急事態宣言が解除され、学校でも時差・分散登校や時間短縮、リモートなどを駆使しながら授業は再開されている。
 このまま順調に進むと考えれば、数カ月程度の授業の遅れを取り戻すことは、それほどむずかしくはないかもしれない。ただ松井氏ではないが、学業の礎となる人間としての成長には十分な時間が必要であろう。危機に直面する今、われわれはそのことを真摯に考えなければならない。
 今回は、知人の一人に紹介された医師の内藤政人氏の随筆「医者は病気を治せない」(いんなあとりっぷ社)から、その一部を紹介したい。本書の黄色い帯には「白衣を脱いで、あえて言おう」と、著者の赤裸々な一言が記されている。
 
 * * *
 
 ある人にとって名医でも、別の人にとっては全く駄目な医者となることもある。医者の側からも患者の側からも、どのような医者が「名医」であるのかを決めることは、それほど容易なことではない。
 こんな例がある。大手通信社の部長であるA氏は、現在(当時)五十代半ばだが、約十五年前のあるとき、つまり三十代後半のころ、仕事が忙しくて眠れない日々がつづいた。そのうちに胸全体が一日中圧迫されるような感じになり、仕事も手に付かない状態になった。
 A氏は同僚の紹介で東京都内の某大学病院の教授で心臓病の権威といわれる「名医」の診察を仰いだ。外来で型どおりの診察をしたあと、胸のレントゲン写真、心電図の検査に回され、それらを見た結果その先生はA氏に「どこも悪いところはありませんね。狭心症ではないでしょう」といった。
 ところが、「名医」が異常はないといったのにA氏の胸部圧迫感は一向に治らず、その後もつづいた。A氏は心配になり、数日後に別の人の伝手で私のよく知っている別の心臓病の老大家に診てもらうことになった。
 その老先生は外来でA氏の診察を済ませるやいなや、何の検査もしないうちに「入院してよく調べましょう」といって、その日のうちに即刻A氏を入院させてしまった。実は、A氏はこの「入院」という言葉を聞いてホッとしたという。
 入院後色々調べたが、もちろん検査成績にはとくに異常を認めなかった。そして約十日間入院しているうちに胸部の圧迫感はすっかりとなくなってしまった。
 入院後分ったことだが、その先生は入院患者からの信頼が厚く、毎朝回診して手で胸と腹とを触るだけで、患者さんが皆安心するという評判であった。A氏は、その後仕事に安心して精を出せるようになり、海外勤務も無事に済ませることができた。
 A氏は、この先生を「本当の名医」といった。命の恩人ともいった。あの当時は、中間管理職にあってストレスも色々と多く、休息が必要だけだったろうが、恐らくあの老先生は、診察室へA氏が入った途端にそれを見抜いて入院を勧めたのだろうと、A氏は述懐している。
 先の大学病院の先生は病気を診る名医、あとの老先生は病気を背負った病人を診る名医であるといえる。どちらも名医であることには違いない。このケースでは、あとの先生の方に軍配が上がったわけだが、別のケースでは前の大学教授の方がよいという場合もある。
 名医の条件として、このように患者の心を見抜く力も必要であるが、それ以上に医学的に優れていなければならない。よく勉強して医学的知識を絶えず仕入れ、一方で患者の心を掴む経験を積み、そして、この両者のバランスが取れていることが重要である。
 だから、ある程度歳を取らないと「本当の名医」にはなれない。若いドクターにはこれがなかなか分ってもらえない。病気でもない、検査成績に何の異常もない人を入院させても何の勉強にもならないなどと、この老先生をバカにする若いドクターはたくさんいた。
 とにかく、患者さんに満足感を与えるような治療を行なわなければ、いかに正しい診断、治療を行なってもダメである。少なくとも、その患者さんにとって、この先生はいい先生だといわれるようにならなければならない。この基準は各人によって違うだろうから、その人その人に応じて医者の方は別な対応をする必要がある。
 とくに死に臨む患者さんの場合は、「いい先生に診てもらえて自分は幸せだったという感じを患者さんに抱かせれば、本当の名医であろう。「上医は国を医し、中医は人を医し、下医は病を医す」とは晋書のなかの一節であるが、「名医」ということを考えるときにいつも浮かぶ句の一つである。
 四方を海に囲まれた小島国であるから、梅雨以外の季節でも湿度が高く、ウェットである。このことが義理人情を大切にする国民性につながっているのだろう。ウェットな人間関係とは、つまり親子、兄弟などは勿論のこと、上司、部下などもお互いに依頼、依存の関係にあり、寄りかかり合って生活しているということである。
 この構図は、日本の社会の至るところに存在している。したがって、昔からつき合いを大事にして商取引などが行なわれていることになる。談合とか、企業と役所の癒着が指摘されるが、それもこのウェットな人間関係に根差すものであり、その良し悪しは別問題としても、とにかく日本の気候風土のなかででき上がってきたもので、何千年もの歴史が背景にある。
 だから、今仮にこれを欧米のようなカラッとした人間関係に変えろといわれても、まず無理であろう。というより、気候が変わらなければ不可能である。島国の気候を大陸の気候に変えろというようなものである。欧米では、人と人の関係はドライである。
 一人ひとりが独立していて、たとえ親子の間でも日本のような依存の関係はあまりみられない。アメリカなどでは、あの広い大陸のなかを人々が自由に行き交い、人がある組織を去っていくときなどの「別れ」の場面もドライである。
 日本人では人が去っていくときには必ず送別会なるものを盛大に催す。泣いたり、笑ったり、情にあふれた人間模様がそこにはある。人と人との間が湿っぽいからである。医師と患者との間の関係がよく話題に上るが、同じことがあてはまる。
 患者さんの多くは医者に精神的に強く寄りかかってくる場合が多い。またそれを求めている。ときには病気そのものを離れてしまって、精神的な面のみが強調されすぎてしまうこともある。なぜ、このような話を持ち出したかというと、わが国ではむかし医者と患者との関係は、この依存関係の上にのっかり、それなりに上手くいっていた。

内藤政人(ないとうまさと)
1946年、横浜市生まれ。1971年に慶応義塾大学医学部卒業し、1976年に慶応義塾大学医学部大学院修了。医学博士。1978年に米国フィラデルフィア留学。1981年に国立病院東京医療センター循環器科。1994年に内藤クリニック開院。現在、同クリニック院長。専門領域は不整脈、虚血性心疾患。