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インタビュー

パッケージ設計開発は生活のフィールドワーク

今月はインタビューをお休みし、特別編として「WORLD VIEW」を掲載いたします。

 芸人の北野武氏は「婦人公論」のインタビューのなかで、コロナ禍の状況について「ヤワな優しさを捨て、野性を取り戻せ!」といわれたようである。武氏の真意はともかく、ただコロナ禍に限らず、豪雨被害や戦後75年の節目を迎えて今、誰もが心に留め置かねばならない言葉ではないだろうか。
 8月6日(原爆の日)に、「黙ってじっと座っとっても、平和は向こうからやってきてくれません。一生懸命たぐり寄せて、掴んで、力を尽くして、守らないと」「でないと、平和なんてものはうたかたのごとくに消えてしまう」(朝日新聞「戦後75年特集」)と被爆者の一人が語る。
 コロナ禍の自粛も、豪雨被害も同じく「黙ってじっと座っとっても」生きられるものではない。いわば「平和」とは、まっとうに生きることであり、懸命に汗を流して命を全うすることである。「うたかた」とはすぐに消える泡沫で、「生きる」とは真逆の絶えない変化の持続にある。
 「一生懸命たぐり寄せて、掴んで、力を尽くして、守らないと」ならない「平和」とは何であろうか。まさに「命」である。最も大切な(自他の)命の行方を、(他人に任せて)黙ってじっと座って見ていられようか。武氏でなくても「ヤワな優しさを捨て、野性を取り戻せ!」といいたくなろう。
 自らが命と向き合い、命をたぐり寄せ、命を掴んで、なり振り構わず力を尽くし、命を守って生きなければ一体、誰が守れるだろうか。人もまた、それが生物としての「野性」の本能であろう。だからこそ、われわれは地球というフィールドワークのなかで命の多様性を直に感じながら生きなければならない。
 今回は、解剖学者の養老孟司氏と霊長類学者の山極寿一氏との対談「虫とゴリラ」(毎日新聞出版)から、その一部を紹介する。地紙に黒字のタイトルを付しただけの何とも殺風景な装丁だが、フィールドワークの昆虫採集家とゴリラ研究の権威との奇想天外な対談は色彩に富んでいる。
 
* * *
 
養老 丸山眞男がね、こんなことを書いているんです。「学者はその無限に多様な現実を掬い上げるようなもので、そのときに網の目からこぼれた、指の間からこぼれたものに対する無限の哀惜の念をもってなければいけない」って。
 とにかく現物っていうのは、こっちが勝手に情報化するので、そのとき、色んなものが落ちていくんですね。私は、それを「感覚」だっていっているわけだけど、色んなものが「こぼれ落ちていく」っていうことに、社会全体が無自覚なんですよね。
 
山極 そうです。だから、僕が離乳期の子どもたちの教育が必要だといったのは、別にその答えが分かっているからじゃない。でも、子どもは子どもなりにあの小さな身体で自然を吸収して、大人がもはや感じ取れなくなった自然の息吹というものを身体に取り入れているわけです。
 
養老 それ、非常にきれいに出ている、具体的な例がありますよ。花粉症とか、ああいう病気を起こさない、罹りにくい子っていうのは、母親が二歳くらいまでの間、家畜小屋なんかに出入りするような生活をしていた子なんです。
 知らず知らずに抗原に接しているということですけど、何も免疫に限らないんです。従来、人が当然、通ってきたはずのものに触れてないんですね、現代人っていうのは。
 
山極 今、腸内細菌の方で、そういう話が見直されていますけど、たとえば生まれてから六ヶ月以内に抗生物質を使うと、肥満体型になりアレルギーが出てくる。その抗生物質で一旦腸内細菌を洗い流してしまうと、免疫体系確立されなかったり、あるいは腸内細菌叢が確立できなかったりして、精神的にも身体的にも、不安定な状態になるっていうのが、いわれ始めています。
 子どもの成長によくないんじゃないかって。目には見えない細菌ばかりでなく、自然界がつくってくれた、虫はそのなかで非常にマジョリティだと思いますけど、刺激に晒されることで、人間の身体が耐えうるようにできていく。
 それが成長過程であって、そこを薬で排除してしまうと、刺激に反応できなかったり、過剰反応を起こしてしまうような身体になってしまう。心もそうですよね。われわれは言葉ができてから、言葉というロゴスのなかで全てを解決するように教育されてきたと思い込んでいるんだけど、実は身体は色んなものを学んでいるんだと思う。
 
養老 神経系統もね、もう生まれてすぐのときの話は、私が現役だった三十年ぐらい前から、かなりはっきり分かっています。たとえばそれこそ、誰でも知っていることでしょうけど、縦縞しか見せなかった猫は、一生横縞が見えないんですよ。
 どういう意味かっていうと、横縞を見せてもランダムな模様としてしか見ていないことが、脳みそを測れば分かる。縦縞にははっきりと反応するんですけどね。そういうのは、生まれてすぐに起るんだけど、神経系は死ぬまで同じルールでやっているはずですからね。
 だから、入らないものは入らない。入らなくなっちゃうんです。具体的にな自然の背景っていうもののなかで、人はそもそも進化してきたのだから、その過程は一応、踏まなきゃいけないわけです。それを、今のような環境に子どもを放り込んじゃうと、私は非常に心配ですよね。ようするにもう「受け付けない人」ができちゃう。
 
山極 どんな生き物も本能だけで生きているわけではなくて、生まれてから同じような形をしていながら、個性を表わしていくのは、それぞれの環境に応じて学んでいくからです。ただ教育というのは、不思議なことに、動物はあんまりやらないんですよね。
唯一やるのは、「教示行動」です。これをやるにも、条件が二つあって、一つは教える者と教えられる者が、知識の「差」を理解していること。つまり、教える方は「この知識は自分のもってない、だから、教えてもらおう」と理解していて、教える側にも「こいつはこの知識をもっていない。自分がもっている」という理解がある。
 
養老 乳児は分かりませんけど、学校教育の場合、結論的にいうと、学ぶというのは「独学」ですよね。それ京都大学もそうじゃないですか、違いますか。
 
山極 いや、そうです。自学自習ですから。サルはね、教育はしないけど、間違ったことをすると怒るんですね。だから、子どもがいけないことをすれば、怒られるってことを分かっている。
 
養老 それ「教育」ですよね(笑)。
 
山極 教育なんですけどね。僕がいってる人間のユニークな教育というのは、先回りして「こうするんだよ」と。つまりフィードバックじゃなくて「フォードフォアード」をやるっていうことですね。これが人間のおもしろいところで一見、京大は本当に冷たい教育なんですよ。
 誰も教えないっていう。「お前ら、勝手に学べ」というのは京大の伝統であって、よく聞いた話ですけれど、ある数学の先生は教室に入ってきて生徒の方を一度も見ずに、黒板に数式を書いて、それで帰って行ったっていいます。今でも、そういう先生がいますけどね。
 それら、哲学者の西田幾多郎は、「私の生涯は極めて簡単なものであった。その前半は黒板を前にして坐した。その後半は黒板を後にして立った」といっています。いずれにせよ、むかしは板書が当り前ですから、板書されたものを生徒が写す。それだけが講義だったっていっても過言ではないですね。

養老孟司(ようろうたけし)
1937年、鎌倉生れ。東京大学医学部卒。東京大学名誉教授。1989年「からだの見方」でサントリー学芸賞を受賞。「バカの壁」が2003年のベストセラー第1位、また新語・流行語大賞、毎日出版文化賞特別賞を受賞。昆虫採集・標本作成をつづけ、「手入れという思想」「遺言。」「半分生きて、半分死んでいる」など著書多数。解剖学者。
 
山極寿一(やまぎわじゅいち)
1952年、東京都生れ。京都大学理学部卒、同大学院理学研究科博士課程修了。ルワンダのカリソケ研究センター研究員、日本モンキーセンター、京都大学霊長類研究所、同大学院理学研究科の助教授を経て同研究科教授。2014年10月、京都大学総長に就任。「暴力はどこからきたか―人間性の起源を探る―」「ゴリラからの警告『人間社会、ここがおかしい』」など著書多数。霊長類学者、人類学者。