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インタビュー

文化生活を体現する奥ゆかしいパッケージとは

今月はインタビューをお休みし、特別編として「WORLD VIEW」を掲載いたします。

 政治家の「恐れとったら何もできない。全員、家に引きこもって、表閉めときなさいって、これじゃあ、日本経済が止まってしまう」との発言が、またもや物議を醸している。確かに「誰がいうか」にも依り、また「日本経済が止まる」との言葉が気に掛からなくはない。
 だが、注視すべきはいかなる感染対策を実施するかであって、むしろ発言の中身はウィズコロナでの心構えとして必要なことではなかろうか。どうしても経済と感染拡大を対峙させてしまうようであれば、「これじゃあ、息が詰まってしまう」と考えてみればよい。
 かのJ・トインビー氏の残した「文明は挑戦に対する応戦によって発生する」との言葉は有名である。「挑戦に対する応戦」が、われわれの人生を貫く主題といっても過言ではない。誰もが知るベートーヴェン作曲の「交響曲第5番」は、正しく「運命はかくの如く扉を叩く」として生まれたのである。
 今回は、女性史研究家のもろさわ・ようこ氏の編集した、与謝野晶子の女性をテーマにした評論集「激動の中を行く」(新泉社)のなかから「性の教育」と「生活の消極主義を排す」の一部を紹介したい。なぜ「性の教育?」と疑問をもたれるかもしれないが、パッケージと同じく中身の問題の扱い方に、その文化が表われるのである。
 
* * *
 
 文化生活は虚偽を排して真実を求めるけれども、何事も不作法にむき出そうとするものではありません。内心の複雑微妙な欲求の表現として明暗があり、遠近があり、軽重があり、濃淡があるのは当然でしょう。それでこそ人生が単調を免れ、無限に趣味の多い、いうにいわれぬ魅力をもったものとなります。
 明るい光の前ではっきりと見るものもよろしいが、あるものはかえって薄暗い所で見たり、薄絹でも隔ててほかに眺めたりする方が望ましい場合もあります。文化生活はそういう複雑なニュアンスに富んだ生活を意味するのです。現代の人間はそういうパースペクチイブの豊かな生活を求めているのです。
 「奥ゆかしい」のが文化生活の内容でなければなりません。この意味から、近代のわが国で性欲に関係する軽佻な研究や議論が盛んに行なわれているのを、私は好いことと考えることができません。香りに香箱があり、仏像に逗子があり、鏡に袋があるように、あるものに対してはとくにそれを露骨にしないでおく方が、生活の価値を深める場合があります。
 容器に納めたり、美しい箱に入れたり、絹で包んだりすることは、けしてそれを不可解にする訳でもなければ、それを神秘にする訳でもありません。そうすることが、そのものを正しく取り扱う方法であるのです。
 「自然に還れ」ということを曲解して、一切の秩序を破り、露骨と不作法とをもって真実であると心得る人びとは、気の毒ながら文化生活に逆行する人びとであると思います。「自然に還れ」とは要するに「有るべきようにあれ」ということです。
 けして「有るがままにあれ」ということではありません。いい換えれば「正しい秩序に従え」ということです。一体にわが国の教育はよけいに物を与えたがります。自発創造の教育ということが盛んに論ぜられる割に一方では、それを裏切る教育論が多いのです。
 性欲の生活は何人にも共通する強烈な本能に根差しているのですから、外から仰山に注意を促さなくても好いものです。個人の本然な自発的覚醒に任せておいて、そのときに自ら模索し探討して領会さすべき性質のものです。
 ただ、そういう意味の自己教育の必要が起った場合の参考として、性教育に関係する学者的研究が備えられているのは好いことですが、最近のわが国のように、少年の好奇心につけ込むような、しかも挑発的の筆致をもって書かれた性教育の述作が、れいれいと衆目の前に続出する現象は不愉快千万に感じられます。
 私はそれらの著者に、果して文化生活の意義が解っているか否かを問いたいです。私の想像するところでは、それらの著者は、その著作が天下の子女に対して、どれだけ不良な反対暗示を与えているかについてすらも、厳正な人間的反省をとることのできない人たちではないか、ということを恐れずにいられません。
 私は、極めて摯実な専門学者の見地からなされた研究の業績といっても、それを社会の広汎な範囲を対象として公開するときには、必ずある種の節制があってしかるべきであると思っています。
 自家の専門にばかり偏して他を考慮しないことは、社会連帯の精神を閑却した点において、とうてい現代の学者的良心を持った人の態度とは認め難いと思います。
 いわんやこの一両年の性教育の著作する人びとは、学者的良心はもちろん、普通人としての羞恥的情操をすら備えているかどうかを疑われる売文者流の臭味の多い人たちです。
 私はわが国の教育界がそれらの人たちの、見境のない、不作法な著作によって、露骨な性教育が鼓吹されているのを放任しておくのはよろしくないと思います。といって、私は性教育を否定する者ではなく、そのように剥き出しにしない方法によって、正当に性教育を試みることには以前より賛成をしている一人です。
 それはもっと細心に考慮すべき大きな問題であって、はしたない誨淫の戯作と混じ易いような軽浮な著作の内容となって、坊間に流布さるべき性質のものではないと思います。
(1922年5月「愛の創作」収載)
 生活は向上させなければならない、増進させなければならない。精神的にも、物質的にも。人間の福祉はこの外にない。自己を充実させるといい、人格を完成するといい、人類を裨益するということは、ただ積極主義の生活を建てることのみを意味するものである。
愛も、労働も、知識も、道徳も、芸術も、教育も、法律も、経済も、ただこの目的にのみ役立つのである。
 昨日のままに安んぜず、今日のままに姑息せず、常に未来を待ち望んで、より善く、より賢く、より楽しく、より華やかに、より堅実に、より自由に、より深大に開展していく生活を追及しつつあることからいえば、人間生活の理想は確かに奢侈的なものであって、けして消極的なもの、退嬰的なもの、みすぼらしいもの、禁欲的なもの、忍苦的なもの、粗硬なもの、醜悪なものではないのである。
 人類の平等化ということが文芸復興期以来の一つの理想となっている。それは人類の一切を凡庸にまで、平俗にまで、鄙賤にまで、平等に引き下げようとするのではなく、反対に人類の一切を賢哲にまで、仁義にまで、富貴にまで、平等に引き上げようとするのである。
 一切の人間をそれ自身の無限の欲望と無限の能力とに従って一斉に完成せしめようとするのである。
 男は寛にして女は酷にし、男は精にして女は粗にし、男は厚くして女は薄くし、男には人格的待遇をして女には物質的待遇をし、男には君主的権利を許して女には奴隷的義務のみを課するという旧式な教育や因習的な道徳は、人類の平等化を裏切る意味において全く不合理であり、不自然である。
 権力階級と資本家階級とのみを福祉に導いて、その福祉の維持と増大とを擁護する教育や道徳や、法律やまた、人間の平等化を阻害し、人間の進化の自由を偏依させる意味において、全く不合理であり、不自然である。悪とは生活の阻害と、怠惰と、否定と、破壊との各々に名づけられる。
 生活を向上し増進するために、人間は一方に精神的生活を計るとともに、一方に自然を利用し改造して、衣食住を主要条件とする物質生活の充実を計っている。物質生活の必要のために自然を利用し改造することは正しいことである。
(1922年5月「愛の創作」収載)

与謝野晶子(よさのあきこ)
1878年12月、大阪生まれ。旧姓鳳、生家は菓子商で、22歳で10代から始めた短歌が「明星」に載り、与謝野鉄幹と出遇う。1901年、彼との恋を詠った「みだれ髪」を上梓、以後「情熱の歌人」と呼ばれ、多数の歌集を刊行し、5万首に及ぶ歌を残す。出征中の弟に寄せた詩「君死にたまふこと勿れ」や初の「源氏物語」現代語訳などを執筆するなど、女性解放思想家としても足跡を残す。1942年5月に逝去。